新宿へ(オリンピックは来年か?)
五輪が来年になったのを最近知った。
世間に疎い。
というか、一般常識に欠ける。
たぶん、健全な社会人なら延期に伴い株価の変動を予知た会話や行動をするのだろう。
マイナスからプラス…いや、ゼロ地点に持ち上げないといけない生き方。
来来世ではオリナスの上で仕事できてるだろうか?
60+60+30=150年後、ニッポソはまだ残っているだろうか?
いや、海外に生まれることだってある。
日頃の行いと運次第。
(´・_・`)「・・・」
なお、自主性かつ自己肯定的に生きてきた人は「運」という言葉は使わない傾向にあるようだ。
地に足が着いた生き方と生活。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
横浜刑…研修が終わり、様子見で通常業務に戻された一発目は新宿だ。
東京などの駅チカ・土産屋は疫病なんて無かったかのように開いている。
店をひらくのがいけないというが、店をしないと生活できないからそうしているのだ。
Go toで観光業を助けようとか、eatで飲食店を助けようというが、そうせず直に補助金を渡せばいいのだ。
働かないと補助さえ来ないというのは変な話しだ。
ひと仕事終え紀伊国屋を冷やかす。
(´・ω・`)「お前、新書買う余裕あんの?」
1食はおろか数食削れば何とかなる。
「本を読む無駄な時間を作りたくないもんで(笑)」
な、意見のアンチテーゼをやってみたい。
まぁ、こういうことを軽く言える時代になったもんだ。
まるで、本読む人間が阿呆みたいだ。
大人が言うんだぜ?
もし、自分の子に読者は無駄だから学校だけにしなさい!と言うのだろうか?
ある意味賢い(要領が良い)としたら、学生時代が終わればサッサと書物を始末して、読者という無駄な時間を別のことに充てるのだろう。
金儲けに教養は要らない(新宿西口より)。
金を稼ぐならある意味子供にもできる。
東南アジアの路上の売り子は子供だ。
労働がキツイから学生に逃げる、という説がいま流行っているが、技術を身につけたいとか、より工学的な要領の良さを得て劣悪な生活を改善したいなどの理想を持っているかもしれない。
人間は水準を上げた文化的な生活を欲するのだ。
異文化ミックスジャムな街大久保。
東は雨横なら西はココだろう。
あるいは、池袋というのも有り得る。
あと、葛西も東のミックスジャムだ。
河内屋で食料雑貨を買う。
生活のためだ。
守り人シリーズにはタフなヤツらが出てくるが、個々人から湧く知恵で生活を切り開いている感じが強い。
ファンタジーは逃避のためにあるのではない。逆だ。この世のあわせ鏡に映った異世界(ファンタジー)で、感じ方を再確認するためだ。
生きることは生優しくないと、確認する。
「情けは人の為ならず」は本来が情けをかけたら、巡りに巡って吾に帰ってくるという意味だという。
しかし、誤用が目立つという。
情けは人のためにならないから、しない方が良い…が、蔓延しているのだそうだ。
ゆえに、生きることがより生優しくなくなる。
江戸時代から続く財界人が地下に闘技場を造ったと噂される。
しかし、ある程度発散的な生き方をした方が楽といえば、楽だ。
人が傷つくのを高揚しながら楽しむのと、残酷な行いが目の前にあると鬱々しているのとはえらい違いだ。
若い子が戦争容認したり、戦犯を良い人と観るデータが上がってきているという。
戦争というのが何だったか?人類知の感覚が薄れたからだろう。
あるいは、世界で起きる戦争を他人事にして見られる視点が育ったのかもしれない。
まずは働くことが優先され、教養としての戦争が試験だけだからだろう。
はだしのゲンが残酷シーン過多だから、片されたと聞くが、あれが75年前の現実である。
戦争が起きれば市井世界はああなる。
過去の事より今の方が忙しいじゃないか!と正論を聞く。
ただ、原発と戦争が低通しているとわたしには感じられる。
お題目というのはカネになる。
戦争をすればどこぞにカネが落ちる。
原発職員は公的生保と揶揄される。
攻める戦費が下りるのはあるとして、それを横取りしてトンズラ決めるヤツが居ないと言えないだろう。
ちゃんと、下まで仕事ができているというのは、ある意味、下までカネが届いているということにもなる。
粗雑な指示体制は数本骨抜き(鉄骨)してできたビルに似ている。
また、複雑すぎる体制は人智、人の手を超えてしまう。
ゆえに、細部まで目が届かないし、指示返答の流れが遅くなる。
人智を超えればロクでもないことが起きる…そういうのがこの世にあるらしい。
昔じゃ考えられないくらい橋も綺麗になった。
ベンツ前からのスカイツリー。
※ベンツ前などと私が勝手に言ってるだけです。
ナマ武蔵が地下に眠ると噂される。
人間のマテリアルを揃えても生きて動かないんだから生命は不思議だ。
「魂」が必要といいたくなるが、意識のON・OFFができる主体が居ないと身体・・・心身は活動しないのかもしれない。
立石前の踏切。
ツイッタはおろか、ブログを撤退する人が出てきているようだ。
要は感情を吐露して皆を傷つけたくないからだそうで、ある意味賢い。
下手な文章より、気を使わない一方的な文章がいかに人を損なうか?
事故が起きれば皆取材者になる。
人を助ける前に事態の悲惨さを感想込めて発表する。
優先順位が「私」なのだ。
「見せる」のは人のためのように聞こえるが、主体は「見せたい」のだ。
まず「自分」がないとなにもできない。
「自分」を何に使うか?レスキューにもできるし、撮影にもできる。
その人の生き方、センスが問われる。
西新宿キャンドゥで¥550→16GBとまあまあ安いUSBがあった。
欲しくなったけど おカネがもったいないので買わなかった。