世界大戦をどうとらえるか?その他

社会科のできが悪い。

というより、学生のころ授業をロクに相手しなかったのがいけない。

いまさら、近代史を読んでもちんぷんかんぷんで、こんなこと良くティーンエイジャーがわかるよな、と思う。

一般人は社会科教養など常識でわかるよ、と聞くが私には関係性や繋がりがよく分からない。

もし、歴史の応用問題で○○のことがあった、ゆえにどういうことが言えるか?など小論文が出されたら垢点はおろか、マイナス点を叩き出す自信が今もある。

 

まぁ、学者になるわけでもないから、いいけどさ。

せめて一般常識程度の歴史くらいは水準上げときたい。

(´・_・`)「・・・」

 

ヘッドが靖国に英霊に辞めた報告をしたらしい。

何に対しての「英霊」だろう?

たぶん、自分のおじいちゃん(のお友達)だろう。

 

あれは合葬が良くないと散々言われてきた。

しかし、見方を変えると・・・自虐史観をアンチとしたら、国体としての「我々」な意識があるのだろう。

闘う同志みたいな意識。

そこら辺は守り人シリーズを読むと何となく、感じとして分かるところがある。

 

では、なぜ自虐史観がいけないか?

海外に向けて(これから)戦えないからだろう。

また、将校など率いれる人参は良いが、尖兵として立たされる人間は冗談じゃない。

 

また、戦中派に聞くと捕虜の虐待や負けた賊軍のみじめさ、慰安婦の問題はどこでもある、という。

沖縄でもG1・・・だったか?占領軍に乱暴され、ハーフの子ができたという話を聞く。

たぶん、敗戦の色が濃くなった時期だろう。

 

しかし、段々と分からないことが分かってくる時代にもなった。

人間が少し冷静になり、過去のことをアレコレ考えたさい、アレはまずかっただの、これは良くなかっただのは将来に向けて言えてくるものだ。

 

中○根葬祭に公費ですげえ金が出るという。

あの人、原発推進した人でもある。

福祉国家の真逆・・・イケイケな経済を発展させる方に行かす人間はどうも、もてはやされるのだろう?

芙蓉ランドの人間が大人しいとか従順というが、そうしなければならない生活があること意味する。

イケイケな人間に逆らえば痛い目にあう、ただ単純にそれだけだろう。

大将、湘軍、殿様に異を唱えられない、未だに権威主義な時代があるのだ。

個人個人が主役には遠い。

 

しかし¥9,000万あるなら、これからの人間に使えばどれだけ助かるか?

額がデカすぎて分かんねぇけど1回でパッと使うには他学部だな。

一般人の葬祭に¥300万なら30倍だ。

でも、いまはもっと安く仕上げたり、コインロッカーみたいなとこに納めるケースもある。

 

ひとついえるのはこんな高額な事しなくても良いようなやり方をすれば良いのである。

これからの人間はカネ無いよ。

あるヤツはあるんだろうけど、ひと握りだろう。

この前帰りにハタチそこそこの連中がグリーンで帰って行ったけど、バブルでもないのにそんなことできるんだから、あるんだろう・・・何かが。

もう、当たり前のように乗っていったけど、私のようなボンビーな感覚とは全く違うのだ。

 

たぶん、親の考え方も違うんだろう。

「あるんだから使う」のようで「なるべく使わない」という考えではないようだ。

「可愛い子には旅をさせよ」が死語になった瞬間だ。

 

あと、リソースとしての教養も格差が出てるというが、当たり前だろう。

子ども食堂なんか、金持ちのツールみたいになってるし、力があるヤツらがやりたい放題になってると聞く。

有機野菜を使えとか、塾前に使わせろ、とかわけが分からん。

 

洗練された教養や情報なんかも格差になるだろう。

ゆえに使えない教養や情報なんかあっても仕方ない。

どうも操作的な立場にいないと自由が効かないようだな。