付き合いきれるか(Ⅱ)

ある種のパラノイアと現実が混濁しながら生きている人はいると思う。

 

この前の「付き合いきれるか(器)」の続きになるけど、お調子者で気分に波がある…そんな容疑者と私は見立てているけど、その時その時で思いついてものをいう人間はいる。

 

弁護士はグラースで善悪の見境が無くなったというが弁護士の戦術だろう。

私にはどうも分からない。

 

容疑者の心理が発達障害云々やトラウマ説もあるけど気質も含めれば考えれば、より複合的な原因だろう。

 

少し阿呆なことを言ってみる。

働いて喰う、多くのヒトが当たり前のように…それが生きる術だ、みたいに毎日通勤する。

十分、パラノイアではないか?

それ以外の生き方をとりあえず排除して、毎日の仕事に打ち込む。のめり込む。

 

あとは、どの程度今の生活が欺瞞に満ちたものか?を疑うだけであり、信じるか?そこそこ信じるか?

あるいは信じられないか?になる。

 

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もうひとつの可能性があるは大言壮語する癖があるかどうか?

しかし、これも商売人が大袈裟にアピールするように・・・あるいは、失態を冒した従業員に説得力ある叱責ができるか?として使われる。

 

要は使い方次第なのだ。

行き過ぎた使いかたはイヤらしく見える。

もちろん、話を盛るためにウソも入るだろう。

多少のウソは愛嬌として言う側も甘えがある。

 

宇宙人云々…5億円云々はどうも子供のノリみたいだ。

大人は(遠い他人へ)滅多に言わない。身内のジョークとして言うかもしれないが、お互い了解可能な話(≒笑い話)として消費される。

 

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私だってまともかどうか疑わしい。

いや、むしろロクでもない線に入っているだろう・・・だいぶ。

残念だけど「とりあえず」の思考、感覚で日常を生きている。

理屈の綺麗さやクリアカットな言動が好まれる御時世だけど、私にはついて行きかねる。

だから、ロクでもないのだろう。

 

大抵の人は乗る。

乗ったはいいけど、乗らないヤツをグダグダ言い出す。

情報が飛び交い何に重しを置けば良いのか分からない時代だ。

動画にも○○大学とかよく分かる○○史とか、著名人が言いたい放題している。

コメディとか軽い教養として消費されているんだろうけど、それがかえって物事を複雑かつ混乱に拍車を掛けてると思うのは私の妄想だろうか。