科学の昨今
著者は器用だ。
「私たちはどこから来て、どこへ行くのか」を読んだ。
生粋の文系というが勉強(学問)に対しての心がけは凄まじいと感じた。 理科に対しての理解がそうじゃないとできない。
内容は最近の理科(生物学や物理)に対してインタビューしていく哲学的な問い。
「私たちはどこから来て、どこへ行くのか」
素敵なネーミングだけど、難問だろう。
小さな子供に問われたら、私など到底答えられそうにない。
なお、この1冊購入するのに食費を削った。
図書館で借りるには時間がかかりそうな代物そうだったから。
むしろ、理解力(≒脳の)よくない私にはこうでもしないと、自らの学問にならない。
(≒)としているのは、他責自責を曖昧にするためです。
仕事をすると学問にならない。
終章で語られたが、ニッポソでは学問は閉じられやすい。
市井とともに議論する場がない・・・科学館や博物館ですら、エンタメのためだ。
勉強のためでなく楽しむためのものであり、そう宣伝しないと客が来ない。
生活費を稼がないと学問どころではない。
欧米並になったのだろう。まずは稼いで来いと。
だけど、システムや構造(やり方)が違うと思うんだけどなぁ…奴さんたちは。
学術財団が問題になっているけど・・・むかし、仕分け云々の話が出たが、学問じたい中有な存在だと私は思うんだよな。
それ自体がLABOのようなもんで。
効果がフィフティーフィフティーで、使えればよろしいし、使えなければ次回へ。
本書、内容は相当ハードルが高い。
学生や脳を使う人が読めば、すんなりいくかもしれないが、私のように文科でも理科でもない人間が読むにはチト辛い。
学問をするというのは脳を使う職人のようなものだ。
単に身体さえ使って思いつきでナニするものではない。そこは人間らしい治世の使うとこで、言われたからやる…業務命令に従い、こなしていく勤め人とはかなり違う。
だから、社畜といわれるんだろう。
それ以外、生き方がないと言われればそれまでだけどね。
ああ、話しがズレた・・・内容。
単刀直入、物理・分子生物学が分かっていないとついていけない。
量子力学やひも理論、化学基礎、数学基礎・・・確率などが理解できていないと、異星人のことば。
数式や公理で話を進めていくので、理論科学(物理・数学・化学)がバカスカ出てくる。実用科学ではない具体例が少ないため、実感が湧かない。
なお、終章で東洋哲学を絡めて話しているので、わかりにくければインド哲学やタオイズム、禅から入ってもよろしい。
理論仏教(=空海哲学)などもかなり難解だが、考えとしては通じたり、つながったりするとこが多いかもしれない。
「ある」は「ない」とか「ない」は「ある」みたいな色即是空とか、量子存在確率の考えは少し前の科学者
が惹かれていった考え方だ。
まえに、私は薬物をオカルトに関連させた話を書いた。
ダウナードラッグにより、新皮質が弱くなり脳の古い箇所がメインになり、人以前の・・・爬虫類脳、いや、もっと昔の記憶(≒感性?)が浮かんでくる、と。
だから、ラリっている人らが共有感覚、一体感を直に得られるのではないか?
アヤワスカが、いわゆる無機物でさえ会話できるドラッグなら、至るところに魂(?)があることになる。
・・・無機物であったときの記憶(-ω-)
アヤワスカを活用する部族は至るところに神を見る。
LSDのリアリーですら、外界が色彩に満ちるなかにいた・・・傍から見れば神を拝む格好をしていたというから。
前頭葉の意識はというのはオカルトには邪魔なのかもしれない。
終章には著者のオカルト取材のことが書かれていたが、オカルトは見ようとすれば現れなくなるのだ。
変な話、意識以前の状態なら認知(?)できるのだ。
コチラもアチラ(幽霊)も通じ合える。
酷い話、意識を生殺しにしないとオカルトには出会えない。
これを、変性意識という。
なお、意識以前の状態は身体の方が強く(活性化)、退行していればしているほど、自然治癒力が働くという話がある。
だから、酒か?と言われてもこまるんだけど。
ゆえに、意識は時によって邪魔になるのだ。
文科でも理科でもないし、仕事もできない(低賃金)うえ、ロクでもないことしか書かないんだから、わたしもどうしようもないな。