あれは啓発本なのか…

坂口某の本を引き続き読んでいる。

(´・ω・`)「・・・」

あとは、やる勇気だな。

要は企画書と創作、細々とした現実的な手続きを踏めば、できるというものだ。

(´-ω-`)「・・・」

なんとも言えないな。

才能のあるないは、わからん。

ある説、ない説も捨て難い。

あとは、個人の趣味の問題だろう。

 

ただし、持ち味はあると思う。

子供の頃、何で活き活きしていたか?を思い出すのがコツのようだが・・・。

しかし、正直なはなし、何かやっても他がやっていれば、どうしようもない気もする。

 

文脈は分かるんだけど、これほどまで自分の才能・・・というか、持ち味を探すのが大変だとは。

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世代間ギャップを感じる。

なんというか、学生やその就活生は、いま高級品に通っているのは間違いない。

数千万積まないと上の学校に行けないというのだから、学問とは何ざんしょ?

 

というか、人種が違う。

新人類という言葉があったが、まさにアレだ。

話が通じない。

オチがないのよね。

 

向こうも私を見る目が・・・あるいは態度が、あたかも南国の珍しい野菜を扱うようなもので、その時点でOUT。

新しい文化の始まりだよ!

 

できる子というのは、一途らしい。

何が悪いか?

ええんでないかい?

優秀にメモを取る姿など真似できない。

あれの延長で上場企業を滝登りのように、出世していくのかしら?

 

当たり前な日常というのは疑いにくいように、他にも日常がある…世界があるというのは、新発見というより、無いものにされることがある。

イメージの問題だ。

私も人のこと言えないか。

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もう3月か…(近況編)

もの、3月か…
f:id:southapollon:20210302180253j:imageつくしんぼが現れた。
もう、何回目の春か。
未来に期待が持てようと持てまいが季節は巡る。

「窓の外から春を見る」

現実では清々しいことが起きてるんだなぁ。

 

つくしもいいがスギナも効能があるという。

蔓延れば作物の厄介になるのは間違いない。

スギナ茶が流行らないのはなんでだろう?

苦さかしら?

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いずれ、群衆心理について読まないといけない。

心理学とは遠い世界に生きていた。

いまでは、高校生でも本を手に取ることもできるし、ネットを検索することができる。

ガラケーのときは本がまだ生きていた。

 

さて、心理学。

ネットでやれば、あの若手心理のお方が目に入る。

なんか、操作的な人だなぁと最近思う。

地金が出てきたのかツイッタでは時々、感情的な発言が目につく。

 

若手巨匠もいいけど、それに合わない人はどうすんべ? 

キュア心理、操作心理、犯罪心理・・・分野は沢山ある。

合うものを見つけりゃいいのだけど、最近はアマチュアが目立ち、フォーマルな教科書がなかなか見当たらない。

中道中派

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なぜ、群衆心理か?

要はファッショに連想している。

ファッショになったとき、人間とんでもないことをする。

 

以前、マジョリティの効能を微かに触れた。

早い話、安全地帯であろう。

安全地帯にいながら外敵を狙撃できる。

外敵を作ってしまったのが95年のあの教団。

だけど、そうだろうか?

会社なんか競争だ。

なんか、似てるんだよね。

 

集団化は(≒)共同幻想ともいえる。

バッタが群れれば凶悪化する例えを出していいのか迷うが、その通りとなる。

 

集団催眠は退行を催す。

ドラッグなしで一体感を味わえる。

あれに、エクスタシーを感じるのは試合観戦などをいった(いまは小人19で自粛)。

たぶん、これは深く掘り下げていい問題だと思う。

なぜ、退行が必要なのか?

 

たとえば、心身のキュアの際、退行を使った方が生命力が増すことがあるようだ。

生命活動を中止・・・いや、遅らせておき

キュアに専念させる。

このとき、意識というのは邪魔になる。

 

前に出てきている日常の意識とでも言おうか?

それが、日常生活の規制をかけ・・・特に心身をある種の拘束状態にしておき、ようやく日常生活が保たれる。

日常生活じたいが、ストレスに満ちていると言ってもいい。

 

こんな強迫症みたいな状態はルールに注視する傾向がある。

あれするな、これするな、という(管理)監視カメラ社会のようでもある。

いまは、野生を出すのは躊躇われる。

剥き出しの本能は時に根源的な・・・パワーや性などを、想起させる。

 

子供に反抗は大事だという。

なんのことはない。

大人にやるにつれオブラートに包んだ反抗をしないと、相手から思うがままにされる。

人間の敵は人間である。

 

さて、野生や本能をだせないまま気付かぬうちに傷つく。

傷つきが溜まる。

これは良くない。だから、発散としての集団催眠である。

もちろん発散はほかにもあるが、つるんだ方が分かりやすいし、やりやすい。

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本田某は発達障害を診るエキスパートである。

患者には仕事をして、一方では趣味にのめりこめるならよろしい、という。

何も患者でなくても、フツーの人にも通じるものがある。

上手い発散の仕方があれば問題ないということだ。

 

 

リンゴの絵(アートのある生活)

安かった。

f:id:southapollon:20210301232345j:image紅玉が¥200だ。

酸味が強いから安いのは仕方がない。

そういう品種だ。

アップルパイには青リンゴを使うのが定説らしいが。

 

果物は置いているだけで絵になる。

生活に潤いを与える。

仕事だけだと、灰色な室内になり「生」もまた、モノトーンになっていく。

🍎

 

坂口某の本を読んでいる。

まぁ、経済の話だ。

そういうものです(定説)な口調だが、いっていることはある程度は正しい。

要はやるヤツもいれば、やらないヤツらもいるということだ。

実行には個人的な事情は問わない。

 

想えば、学校などは組織的な人間を作る装置に見えなくない。

従って、それに・・・学校の延長である会社などで、合わなければ、それ以外のことを習ってこなかったゆえ、行き詰まりになるのは当たり前だ。

 

合わないのに、周りはじゃあ別の会社を・・・などというのだから、合わないことドンドン勧めているようなものだ。

 

あるいは、組織に似合う人間ゆえ、それ以外の道を探るとき、心身に染み付いた生来の学習がなかなかとれないのも分からなくない。

 

邦人は起業しないのが多いというが、失敗こいたら後がない実情と、何かしようにも法によって阻まれるのがあるといわれる。

あと、元締めとか。

ε=(・д・`*)ハァ…

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帰り道、騒いでいた連中の方に救急車が走っていった。

大変なことになったのだろう。

ここ最近、治安が悪いのが目立つ。

足〇区ではない。

盛り場というより、人が多いから、ドラッグストアや飯屋、スーパーなど雑多な店がある。

 

そういえば、一回目はぶっ倒れてたな。

打ちどころが悪かったのだろう。

やった方も前科者になるかもわからん。

法とレッテルがあろうがあるまいが、生きることは身を守ることでもある。

前科者覚悟で身を呈して守らないとならない!と言っていた過去の師匠がいた。

・・・侠客?

 

作家の上橋某は「気品とは何か?」を書いていたが、逆に落ちようと思えばいくらでも落ちれるのだろう。

よく、品のなさは各人のなかにちゃんとある、というが結局はTPOになるのだろう。

下品さは私の中にもある。あり過ぎるくらいだ、と言っていい。

 

そういえば、もっと周りは狂っていい、周りが狂えば神経科の患者が減っていくと書いた人がいた。

今の風潮は正すことで、人をおかしくさせるレッテルを持つ。

正すのも過ぎれば刃(やいば)だ。

あるいは、黒魔術かもしれない。

イケてないもので(強烈な陰キャ編)

ふむ(´-ω-)

アイコンを作ってみた。
f:id:southapollon:20210228235114j:imageなんともグロテスクなイメージだ。

いまからでも地獄に行けそうな面(つら)をしている。

 

なぜ、バッドセンスか?

いまは、綺麗なことが溢れているし、綺麗事言うヤツが多いし、そればかりだと飽食になる。

面白くない。

 

ドクロは将来の自分でもある。

まさか、1000年後も行きているヤツがいるだろうか?

死を想え💀

 

無法〇帯なツイッタランドにも挙げたお買い得品。
f:id:southapollon:20210228235507j:image深夜にカリントウを写す私。

1つ¥30ちょっとだ。

あんまり入っていないけど、さすがは我が地元。

ご老人向けに商品を用意したに違いない。

f:id:southapollon:20210228235842j:imageパッと答えられない数字。

私がインド人なら容易く出来ただろうが、あまり贅沢は言えない。

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ほう…

学校部活動について意見が湧いているようだ。

あの方は、部活動は有料性にせよ!というが、わからんなぁ。

結局、カネあるヤツらの溜まり場になりそうだな。

行き着くところ。

 

大学ですら、部活で泊をつけて世の中に出ようとする強者がいるんだから、学校なんて科挙の延長に感じる。

その人のためが、優良切符を作るためになっているようだ。

エリート養成機関。

 

しかし、スクールカーストにも触れていたようだけど、アレ、教官にとっても上位者はめんどくさいヤツらだろうよ。

口達者で、器用で、頭の回転が早いし、機転が利くし、ケンカも強いし、あっちの方も熟れているし・・・

あたかも、ネ申からの贈り物(天賦の才)を悪用の極みに使っているようなものだな。

 

あと、そんな上位者という化け物は、何も生育環境に問題があるとは限らない。

親も似たようなもの、なパターンがチラチラ見えるのよ。

感じとしては。

 

たぶん・・・世の中の縮図が学校なら、上位者(を含む取り巻き)にとって都合のいいシステムでしょう。

不器用なのパシリにできるし、テストなんかやらなくても出来るし、分からないとこは誰かに聞くとか、あらゆる方向にネットワーク広げておけるし。

 

水谷氏がドラッグやって反省しないヤツが居た!というけど、いま(というか過去と連続してるけど)の風潮じゃあ幾らでも悪用できる環境だからなぁ。

アッパーもダウナーも器用に使いこなせるよ。

デキるヤツは。

反省というか、彼ら出来て当たり前なんだから、決まり事自体もツールになるんだろう。

隠れる(ハーミットとその他)

こもりびと系のドキュメントを観た。

彼らと彼らを取り巻く存在の葛藤の強さが知れた。

この手の問題は子供で終わるものでないと示唆しているし、人間、いつ脱落(ギャップ?)するか分からないともいえる。

 

深刻な内容が明るく語られるのは、その深刻さの補償である。

〇〇は良い子とか、〇〇だった大成功!

最近では不登校の過去を持つ人が若手長者となり、本を出す始末である。

しかし、それも僅かだろう。

 

成功したのならよろしい。

しかし、これほどまでに問題視されるのは、ことの深刻さがあるからだ。

失敗例が見逃せないのだ。

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ハーミットの個室まえにメシを用意するのを「お供え」という。

笑うに笑えない話である。

ある程度開き直れば家庭内暴力に発展するから、厄介なのだ。

 

個人的な事情を排除すれば、他所で隠居しろ!な話になるのだろうが、事情は棚上げしておき、生きる術を探した方が得策だろう。

しかも、事情など新たに生まれてくる人には分かりにくいはずだ。

いや、わからない。

新旧の文化差がある。

たとえば、就職氷河期など後世には、知らねーよ!となるだろうから、その時代に生きていた人間の皮膚感覚だけが記憶となる。

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「お供え」

・・・滋味深い言葉でもある。

「逝く」ことを「隠れる」という言葉で太古は現したという。

行動していれば、生きている、静止していれば死んでいるとして、機能的に見ていた先人達の目が興味深い。

仏門も死ぬことを意味していた。

あの世である。

 

いつ終わるか分からない修行は、あの世と同時に揃ってないとやってらんない。

なお、仏の手前が菩薩である。成仏せずに衆生を救う役として菩薩に留まり現世に残る。

関連性がある話ではないか!

 

また、アマテラスが岩屋から出てきたのは、引き出し屋(※)の手口が神代から現代も変わっていないことを意味する。

全く、成長していない。

というか、それ以前はサルだったんだろうから、人間の個々の識別も緩かったんだろうに。

私のものは私のもの、あなたのものも私のもの。

 

(※)変換で出るって余程、膾炙した仕事なのかしら?

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隠れ里(郷)などは避難としての意味も・・・理想郷、遊郭としての意味合いもある。

 

始皇帝などは、あのキン〇ダムで勇ましく正しく描かれているが、一方では暴君として庶(周り)民から恐れられていた。

法家(韓非子)の厳しくほうに則れば国が安泰するとして、首絞めな独裁国家だったという。

 

ゆえに、それから逃れたのが隠れ里の民である。

死んだ事にしておく、として身を守るというのは太古の人間の知恵である。

生きる知恵。

勇ましく独裁国家でこき使われるより、多少のボンビーでもあるがままの生を全うできるとして・・・たとえば、山野などに住んだ。

 

関係すれば使われるという過酷な状況なら、関係を断ち自分を生きる道を探るというのも有りだ。

 

余談だけど、嬴政はクールに賢く描かれているけど暴君としての乱暴さは「信」どころじゃ無かったんじゃないか?実際は。

酒見先生の作品と一緒に考えれば、育ちで人間どうにでもなると言えそうだ。

昔と変わんないんだなぁ(料理もする)

作ってみた。

f:id:southapollon:20210227230755j:imageグリーンカレー🍛

ヤマイモ版のグリーンカレーだ。

ナツメは気取ってみた。

ちりめんじゃこライスが、冷凍したおにぎりの形状が残っているのは気のせいだ。

 

平皿には煮詰めた具材を盛ればよろしい。

(*´Д`)「間違いない美味さやね」

美味いもん食うのだけが幸せという意見もよく分かる。

ちりめんのダシがグリーンカレーに足りない肉類の風味を誤魔化していて、ちょうどいい。

 

(貧乏がいけないんだ)

 

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ヘッドがキレたという。

だいたい、ダックスフンドと戯れて動画に乗ったり、お笑い番組に出るくらいだから、目線や意識か市井のものと変わらん。

 

記者も食らいついて言い返せばいいのだろうが、いまはそういうヤツら見たことない。

 

言ったもん勝ちは独裁者になるぜ。

 

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ほぅ…いまは発達障害の診断があれば、考慮されるという。

だけど、養護学校に散々送り込んだ過去があろう。

何をするにせよ、レベル高いな。

フツー=エリート意識かしら?

 

学校の全てが悪いわけじゃなかろう。

用は内容だ。

ハンディや不器用は「できり子」「イケてる子」からすれば、お荷物目線は避けられない。

エリートには、1人でエリート街道を進んでいく考えがある。

次は世界が相手だ!みたいに。

 

問題なのはどこまで、全体的なパフォーマンスを高めるか?だろうが、システムからすればファッショへ直通な考えでもある。

できないから(なら)、よそに行ってもらうになる。

 

少し前に〇〇に優れた云々という考え方があった。

運動、勉学、収集、物知り・・・集団内での居場所があったが、いまは先鋭隊を作っているようなものでもあり、習う側も損得からすれば、従っておいた方がいいと、そこは頭が良くなっている。

 

なんでこんなのが売れるの?みたいな本には隷属な役割を持った生徒が登場する。

傍から見れば最下位カーストであり、パシリという未開文化なみのことが当然のように描かれている。

 

しかし、むしろそれは当たり前なのだろう。

現代人を一皮めくれば、おぞましい過去の虐待的な部分もあるに違いない。

かろうじて、それをオブラートしているだけなのだ。

 

カネ、モテる、デキるに(今は)価値が方よりがちだ。

侠気かよ?

堅気じゃないぜ?

多様性とは、個々のマニアックさを許し、その道を確保することにある。

まぁ、時代がボンビーになってるから、欲しいものがドンドン原始的になっていくのはわからなくはない。

アブラハム・マズローどころではない。

 

過酷な時代でもある。

仕事ができて当たり前なうえ、人間関係もやらないといけない。

若い子は器用だし脳が柔らかい。

次々、代わるカスタムに慣れるのが早い。

(´△`)「何でこんなの分からない(できない)んですか~」

などと、私は散々言われてきた。

逆ハラスメントである。

 

これは、不器用な子や発達障害の存在を無きものにしたり、見ないで済ませてきた習慣に違いない。

おかげで、立派でかつ残酷な若者に育つわけだ。

「不合理なもの」の存在を無いことにすれば、次の子らはそうするのが当たり前だと思う、当然な成り行きではないか?

 

「できないのを許さない」のを作ってきた文化の遺産でもある。

髪型チェックと過去回帰(四半世紀まえ)

隠居したいのは嘘ではない。

隠居も度が過ぎればデカダンスになる。

 

リモートで出資やしなくてラクになったと聞く。

人間自体がストレスになるようだが、「拘束時間」というものは実は、もっとストレスになる。

自由を奪われるゆえのストレスだ。

 

疫病で病院に入院中しないと罪になるという。

決め事の内実は柔んだが、病人がイコール罪人だ。

生活補償あっての手厚い入院ならよろしい。

しかし、それも曖昧で入院拒否をしたら、刑務所に放り込まれるのだ。

 

大体、なぜ疫病を隠したがるのか?

使えなければ持ち場をクビになるからだ。治ったとしても、あたかも前科者のような目で見られるのは避けられない。

罹えばカネなく療養するしかないシステムもある。

ゆえに出来事は「時の運」のように見られてしまう。

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いまだに、髪型チェックをしているという。

魂胆は学校の売りと保護者向けサービスだろう。

我が校は清潔です(商売)。

お子さんの見た目がこれほど、誠実そうに見えます(内申点)。

教官、保護者どちらも共犯なところがある。

学生をこれほど縛るものはない。

 

大学になれば、その反動でいかにとんでもないことをやらかすか?

小さなうちの粗相はよいとして、育ってからのそれを見聞きするのは見苦しい。

まぁ、人間の未成熟を認めるのもいるようだが。

 

むかし、日の下では悪さはしないというのは、あったようだ。

宗教が生きていた時代だ。

地獄思想は悪さをすれば、釜茹でにされるという未開な文化が持つ抑止力だったに違いない。

 

しかし、ニーチェを出すまでもない。

神仏の守りではなく、人間が自分で試験して決めていかないとならないのは、つい最近になってのことだ。

自分でで生きること、失敗したり、拒否したのがアルコール症や心身の病である。

要は生きやすい道を見つければいいのだ。

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私はビンタが当たり前な時代を育った。

そこから何を学ぶか?

ビンタされないよう、アレコレ工夫するだけである。

そこには、善悪もない。

誤魔化したり、濡れ衣着せるようなのも多かったし、教官に諂(へつら)うのもいれば、タバコに火を着ける係の者までいた。

 

たぶん・・・いや、目的意識は時代によって違う。

教官の下品さは無くなったが、その分、学生の既製品化(30年前)が出てきたし、強化された(つい最近)。

いまは、「仕立てる」という理由から学生の髪型チェックがあるのだろう。

 

ある意味、エリートを目指すには神経症的なまでの人間加工をされて、世に出されるというのは、根の部分では変わってやしない。

 

仕事ができるうえに、諂える、そして人間関係もやらないといけない。

私には化け物のように見えるのだが。