昔と変わんないんだなぁ(料理もする)

作ってみた。

f:id:southapollon:20210227230755j:imageグリーンカレー🍛

ヤマイモ版のグリーンカレーだ。

ナツメは気取ってみた。

ちりめんじゃこライスが、冷凍したおにぎりの形状が残っているのは気のせいだ。

 

平皿には煮詰めた具材を盛ればよろしい。

(*´Д`)「間違いない美味さやね」

美味いもん食うのだけが幸せという意見もよく分かる。

ちりめんのダシがグリーンカレーに足りない肉類の風味を誤魔化していて、ちょうどいい。

 

(貧乏がいけないんだ)

 

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ヘッドがキレたという。

だいたい、ダックスフンドと戯れて動画に乗ったり、お笑い番組に出るくらいだから、目線や意識か市井のものと変わらん。

 

記者も食らいついて言い返せばいいのだろうが、いまはそういうヤツら見たことない。

 

言ったもん勝ちは独裁者になるぜ。

 

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ほぅ…いまは発達障害の診断があれば、考慮されるという。

だけど、養護学校に散々送り込んだ過去があろう。

何をするにせよ、レベル高いな。

フツー=エリート意識かしら?

 

学校の全てが悪いわけじゃなかろう。

用は内容だ。

ハンディや不器用は「できり子」「イケてる子」からすれば、お荷物目線は避けられない。

エリートには、1人でエリート街道を進んでいく考えがある。

次は世界が相手だ!みたいに。

 

問題なのはどこまで、全体的なパフォーマンスを高めるか?だろうが、システムからすればファッショへ直通な考えでもある。

できないから(なら)、よそに行ってもらうになる。

 

少し前に〇〇に優れた云々という考え方があった。

運動、勉学、収集、物知り・・・集団内での居場所があったが、いまは先鋭隊を作っているようなものでもあり、習う側も損得からすれば、従っておいた方がいいと、そこは頭が良くなっている。

 

なんでこんなのが売れるの?みたいな本には隷属な役割を持った生徒が登場する。

傍から見れば最下位カーストであり、パシリという未開文化なみのことが当然のように描かれている。

 

しかし、むしろそれは当たり前なのだろう。

現代人を一皮めくれば、おぞましい過去の虐待的な部分もあるに違いない。

かろうじて、それをオブラートしているだけなのだ。

 

カネ、モテる、デキるに(今は)価値が方よりがちだ。

侠気かよ?

堅気じゃないぜ?

多様性とは、個々のマニアックさを許し、その道を確保することにある。

まぁ、時代がボンビーになってるから、欲しいものがドンドン原始的になっていくのはわからなくはない。

アブラハム・マズローどころではない。

 

過酷な時代でもある。

仕事ができて当たり前なうえ、人間関係もやらないといけない。

若い子は器用だし脳が柔らかい。

次々、代わるカスタムに慣れるのが早い。

(´△`)「何でこんなの分からない(できない)んですか~」

などと、私は散々言われてきた。

逆ハラスメントである。

 

これは、不器用な子や発達障害の存在を無きものにしたり、見ないで済ませてきた習慣に違いない。

おかげで、立派でかつ残酷な若者に育つわけだ。

「不合理なもの」の存在を無いことにすれば、次の子らはそうするのが当たり前だと思う、当然な成り行きではないか?

 

「できないのを許さない」のを作ってきた文化の遺産でもある。