髪型チェックと過去回帰(四半世紀まえ)

隠居したいのは嘘ではない。

隠居も度が過ぎればデカダンスになる。

 

リモートで出資やしなくてラクになったと聞く。

人間自体がストレスになるようだが、「拘束時間」というものは実は、もっとストレスになる。

自由を奪われるゆえのストレスだ。

 

疫病で病院に入院中しないと罪になるという。

決め事の内実は柔んだが、病人がイコール罪人だ。

生活補償あっての手厚い入院ならよろしい。

しかし、それも曖昧で入院拒否をしたら、刑務所に放り込まれるのだ。

 

大体、なぜ疫病を隠したがるのか?

使えなければ持ち場をクビになるからだ。治ったとしても、あたかも前科者のような目で見られるのは避けられない。

罹えばカネなく療養するしかないシステムもある。

ゆえに出来事は「時の運」のように見られてしまう。

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いまだに、髪型チェックをしているという。

魂胆は学校の売りと保護者向けサービスだろう。

我が校は清潔です(商売)。

お子さんの見た目がこれほど、誠実そうに見えます(内申点)。

教官、保護者どちらも共犯なところがある。

学生をこれほど縛るものはない。

 

大学になれば、その反動でいかにとんでもないことをやらかすか?

小さなうちの粗相はよいとして、育ってからのそれを見聞きするのは見苦しい。

まぁ、人間の未成熟を認めるのもいるようだが。

 

むかし、日の下では悪さはしないというのは、あったようだ。

宗教が生きていた時代だ。

地獄思想は悪さをすれば、釜茹でにされるという未開な文化が持つ抑止力だったに違いない。

 

しかし、ニーチェを出すまでもない。

神仏の守りではなく、人間が自分で試験して決めていかないとならないのは、つい最近になってのことだ。

自分でで生きること、失敗したり、拒否したのがアルコール症や心身の病である。

要は生きやすい道を見つければいいのだ。

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私はビンタが当たり前な時代を育った。

そこから何を学ぶか?

ビンタされないよう、アレコレ工夫するだけである。

そこには、善悪もない。

誤魔化したり、濡れ衣着せるようなのも多かったし、教官に諂(へつら)うのもいれば、タバコに火を着ける係の者までいた。

 

たぶん・・・いや、目的意識は時代によって違う。

教官の下品さは無くなったが、その分、学生の既製品化(30年前)が出てきたし、強化された(つい最近)。

いまは、「仕立てる」という理由から学生の髪型チェックがあるのだろう。

 

ある意味、エリートを目指すには神経症的なまでの人間加工をされて、世に出されるというのは、根の部分では変わってやしない。

 

仕事ができるうえに、諂える、そして人間関係もやらないといけない。

私には化け物のように見えるのだが。