吉原を出す

鬼減の刃(※)で遊郭編をやる事が問題になっている。

 

大人コミックでも、その手の描写はあると肯定派はいう。

まぁ、その通りだろう。

 

私の想いからすれば…

ホント、自由になったものねぇ( ´Д`)y━・~

で、ある。

作る方も見る方も。

 

(※)「減」←(げん)だからねー

 

大雑把な要点、というか遊郭にて問題点が隠されているだろう・・・遊郭が問題の真相にあるというのは、作り手のニュアンスだろう(たぶん)。

表現者が何表現してもいいじゃねえか?

 

もっといえば、露骨になったともいえる。

逆にいえば、露骨に表現できる。

たとえば、ヒロヒト写真を燃やせるのだから、それくらいのことはできるだろうくらいの勢いか?

 

あとは、大人の見るもの、子供の見るものの見境が無くなったとも言える。

いいのかどうかは知らないが、千と干尋(※)を越すくらい知れ渡ったのだ。

老若男女が観る可能性は高い。

(※)干尋←干(干す)だからねー

 

識者からは、昔の人が居なくなったからできるのだ、という意見もわからなくない。

戦争の「妙」を知らないのが増えたから、人間関係の加減の知らなさや、歴史改竄などをやるように、その場の雰囲気…生きるか死ぬか?の雰囲気を知らないから、そういう事ができるのだ、という。

だから、ハラスメント(虐待や犯罪)がまかり通るのだ…な考えに繋げられる。

 

なお、私はハラスメントに至ってはアレ犯罪と見ている。

正論、矯正、教え、などを通して、オブラートに包んで巧妙に言動の暴力を振るう。

実に人間というのは賢い生き物なんだろう。

 

遊郭については、身売りの過去を私は知っている。

ハロワの人間が風俗で身を立てれば、やっていけるでしょ!という、お説教があったのを知っている。

また、過去には3Kという仕事観もあった。

きたない、きつい…後なんだっけ?

気持ち悪いだっけ?

 

風紀というか、非言語というか、なるべくなら、やらないでおきたいことというのはこの世にある。

できればやりたくない。

仕方なく、身売りしたなんてのはやっぱ何となくマズイ。

そういうのを語るのも、聞くのもないから、作家は挑戦し表現しようとしてるのかもしれない。

正直、わからん。

 

よしもと某女史によれば、水商売はどことなく不健康な感じになっていくようだ。

身体って精神や身体の含む器(うつわ)だからね。

疲れ方も、昼の仕事とは別の疲労を感じるのかもしれない。

 

さきの、宮崎監督の作品で、暗に遊郭を表現していると、ニュアンスがされるが、そういう見方もできる。

だから、なに?と言われても仕方ないのだけど、宮崎監督は感想者に猶予を与えている。

卑猥なイメージができることも、明るい解釈ができることも。

自身、昔ながらの生活感を目指して武蔵野に何か町を作ろう云々していたから、子供に対して残酷な振る舞いはしないはず(だと思う)。

 

その分、遊郭編はストレートだ。

より、真っ直ぐでクリアな分かりやすい時代受けを狙っているにも見えなく無い。

遊郭で問題になった→これは、分かりやすい。

まぁ、そこまで頭叩かれないと分からないのが出てきた、とも言えるかもしれない。

これを「間」が無くなったともいえるし、観る側に想像力に問題(※)が出てきたともいえる。

生活の妙……または間でもいいんだけど、察するとか、拍子を読むなんての、無くなったものね。

 

(※)いい悪いじゃなく、新たな問題みたいな