野暮話
「劇」(虚でもいいが)はそこから何を読み取れるか?がある。
あのやり方は真似したくないとか、アレは悪用できるとか、襟を正すとか。
ドラマにせよ、映画にせよ、話題の共有は大事だが同じ考えに持っていきたがるのは、よろしくない。
(´・ω・`)「時代は変わったよな」
性教育の低年齢化とその実技化は、一昔前なら有り得ない。
まえなら、望まないということで中絶できず、精神論で産み育てるスタイが、あたかも刑罰(私刑)のようななあった。
先日、ドラッグストアで〇〇を買う中学生がいた(※)が、タブーとしての性は解除され、その話題自体、低年齢化しているように感じられる。
世の中、容認する流れにあり、子供ですら大人でもむずかしい問題に放り込まれているように思う・・・のは、知能指数の低いだけか?
(※)〇〇が買ったというだけで、ハラスメントな文民にコンゴ流れそうだ。店の人も当たり前のように買わせていた。教育ってなんだろう?
たぶん、流行りなのだと思うが、これほどまで容認されていくのは、単に新自由主義の流れだけでなく、メンドーを見るのが難しくなったためか?
メンドーといってもアレよ。
「世の中の暗部は察して覚えろ!」みたいな不文律なところだ。
あまりしないほうがいいこともある、というのは「間」である。
「間」を置いておくことで、角が立たないことがある。
一線を超えないといってもいい。
だけど、いまは超える。
なぜ超える?
新自由主義の余波なんだろうが、新しい世代の実験にも見えなく無い。
子供のため、というが軸が子供に向かうのは自分を見失うことだ。
自分を生きればいいのだろうが、大人の欲望をそのまま子供世界に移してくるから、早期教育になる。
たしかに、今の子は成長が早いけどさ。
指導要領ですら・・・マニュアルも現実には追いついていない。
たとえば、不登校などは行かなくていいことが分かった(≒バックレても問題ないことが分かった)。
すると、その新しい状況にしても好き放題できる、自由人も現れる。
むかしから、放蕩息子や娘はいる。
周りが良くないというが、この場合は躾がよくない。
物事を決めるには細部を見なくては。
まぁ、わからん。
むかし「禁忌」に言われていたことが、当たり前に出回ることはある。
私の脳もだいぶ古くなった。