従軍〇〇〇の話を読んでみた。
正直、慰みものである。
慰安どころではない。
そして、変換機能にも(いあん)など入っていない。
戦後、米兵がやってきて売春をしだした邦人の話を聞く。
しかし、それは進んでなったことだろう。
日帝の兵士が強制的に現地の女の子を連れて行って「慰みもの」にした。
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今回は辺見さんの本だ。
ローティーンのころ連れていかれた女性について書かれている。
もう、20年も前の内容だ。
辺見さんも大病を患った。
体験した世代の隣にいる世代…ある程度理解というか時系列のわかる人間もいまは高齢だ。
人によっては今も日帝を克服できないでいるという人がいる。
要は体質である。
善悪込めた文化の踏襲であり、それを意識して軌道修正できるか否かが問題なのだ。
明治は明治で悪かったという。
個人や人権の発芽していない状況だったのだろう。
ローティーンで嫁に行くのが当たり前なら、反発するなら気狂いのように扱われた。
だから、狐が憑いたなどという。
(なだ氏から引用)
さて、慰安〇〇について。
教科書に載っていないという。
むしろ、歴史修正主義にとっては、語る者は妄想だと言わんばかりに否定する人もある。
欧州でも歴史修正主義は発生しているが。
辺見さんの文章を読む限りではあったんだろうと私は直感する。
無論、国際的な歴史研究では「有り」というのだろうが、体験者の話を掻い摘んで読むと、生々しく感じられる。
問題は、多かれ少なかれ、どの国もやる事だという意見がある。
それはそうだろう。
現行の国際関係や政治にあまり不利な事は持ち出したくない。
官吏や商売人ならリスクやネガティブパッケージはなかなか出さないものだ。
あと、もう昔のことだからいいじゃないか!というのもある。
やはり、まずいのはその時点で歴史を曲げることになる、
子供に教えるには可哀想というが、戦争じたいどの国もでもやることなら、知らないより知った方が良い。
殺戮だけでない、強奪や本能丸出しになるヒトの本性。
いま、性教育について積極的な流れになっている。
模型を使った生々しいこともされるという。
大家族性の「何となく分かっていく」という文化から遠くなったのは仕方がない。
望まぬ不幸を起こすより起こさない方がいいに決まっている。
私が引っかかるのは断片的な知識を与えておいていいものか?というものがある。
何かインスタントな感じがある。
それこそ、性教育するなら慰安婦のこともやった方がいいんじゃないか?という気さえする。
泣くのはその人含めた周りだけではない。
日に顔も知らない何十人を相手にした(させられた)という話が出る。
胸が詰まる。
「慰みもの」というのは「性」というものを極限までにネガティブにしたものである。
それを「悪」とはできない、だから慰安婦と称した。
どうも性教育の積極的な…ポジティブな方に流れている気がする。
やるのはいくらでもできる。
キャンペーンとして消費されるには、どうも腑に落ちない。
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私はめんどくさいことを考える。
もっと、性についても…繋げること、愛についても書かないといけないのかもしれない。
これだけ、厭世的なこと(情報)に囲まれながら開き直り、バカをするヤツもいるだろう。
もっといえば、教育じたい高級品だということもありうる。
スラムな場所では教育も成り立たないことは知っている。
先に教科書に載ってないらしい、と書いた。
載せた方がいいだろう。
点取り合戦の教科書だろうけど、しないよりしたほうがまだましだろう。
というか、数行しか書かれないかも分からんが。