不信感の今昔②

さて、前回は自分を棚に上げた。

テメェはどうなんだ?な話。

 

束洋経済の記事にあった教育学の大先生の言葉で、なるほどと思える点は、学校を放られ世のなか出たら、自分で問題を気づかないといけないというものだ。

刑務所に入ってようやく(スペクトラムに)気づいたはチト気の毒だ、

だからと言って何もできないけどね。

 

むかし、心理の先生と話す機会があった。

「たとえ、問題があってもTPOによりますし、集団の中に居て具合が悪くなる(される)こともあります」

要はクッションが効いているかどうかなのだろう。

後半の「集団に居て具合が悪くなる」なんてのは働いていたら絶対口に出せない禁句だ。

 

この手の問題は昔からある。

集団が病を作るじゃあないけど、病にさせておいた方が集団が安定するみたいなことがあるらしい。

最近は分裂病は減ったというが、考えてみたら事実も確認しないで「ヤツが妄想を起こす」という、現象自体が前時代的だったのかもしれない。

要は身体より精神的虐待はその場限りだ。

いやみ、皮肉、罵詈雑言などは言っていないといえば、それが事実としてみなされやすい。

そういうのが意識(常識・妥当性)がまともと見られやすい。

 

狐憑きですら、ヒステリー(≒解離)であるのに集団は病を抱えて安定しておくことがある。

なんせ、人身御供や生贄をやった過去がある人類文化だ。

文化の過去にそういうものはあったが、いまは既に克服したと思い込んでいる方が傲慢なのかもわからん。

誰か人身御供や生贄の効用・効能について研究考察やってくれんかな?

 

あぅ…話がズレた(´・ω・`)

都落ち、コンプレックス、スティグマ、ワガママ、アスペなど、イキりを作る要素の組み合わせは無限大だ♾️  

都落ちは要は能力叶わず都から去ったというもの。

都に限らず、現実と自分の能力の差で挫折したというものもあろう。

あっ!あと人間関係上手いかない場合もあるかもね。

人間関係ベースにしたい人ほど落ち込むし。

 

酷い話、疫病下で虐待が増えたり女性の自死が増えたようだ。

これは、不安がなせる技だろう。

不安だから乱暴していい理由はない。

昭和の人間は、そこは水流に耐えるようにしないといかん!というが、平成だと要領良く工夫を凝らすという。

まぁ、どちらにせよ問題がないようにすればよろしい。

幸いニッポソでは海外より被害が少ないと言ったり、辛い自分を褒めまくろうという、意見が飛び交っているが、使えりゃ使えばいい。

あまり、くさくならない(わざとらしくない)程度に。

 

あと、何も出来ない自分の無力さに苛まれるというのがある。

それが、ヤケを起こして滅茶苦茶やることがあるようだ。

アスペに限らず、世界に対して働きかけられない場合の自分の小ささに時として欲求不満になる。

ああ…思うのだけど、マズローの承認欲求は余裕のある人のものだと最近感じる。

高級食材だ。

 

最近の記事は成功話を組み込むことがある。

その人がなぜ失敗続きだったかは「これをやればいい」なんて易々と言えやしまい。

脳というのは成功(≒真新しいもの)好きではあるまいか?

それなりの(心身や人格形成)歴史があるし、宗教でも入らない限りすぐには治りにくいだろうな。

プログラム組んで上手くいきゃいいけど、期待大にしてダメだったら、その落ち込みは激しそうだ。