教育は現実ではない
教育は理想だ。
理想ゆえに99%な天才は近づける。
あるいは、リソースのある人間は「選び」もできる。
世間というのはある意味強い。
政と相互関係というが、世間の求めるのは大抵実学のようだ。
これは、機能主義にも繋がるが世の中できないとキツく当たる。
神経科やハンディを持つ生き方があっても「まともさ(=機能)」を求めるところがある。
ゆえに「働けば治った事になるといわれる」なんて、前世代医師の明言が残っているくらいだ。
世間というのは元々あるものという。
機能性・・・systemの恒常性が狂わされないことに躍起になっているところがある。
人は創造性を一方では持つ。ひとつの仕事にも創造性が含まれるなら、いまは大人から子供まで潰しにかかっているようなものだ。
あるいは、恒常性を求める方が多いということか。
疑問から独自性は始まる。
教科書の文章にも疑問があれば、その時点で創造性は始まっている。
悲しいことに点取り合戦は今も続いており、速さを求められ、正確さを要求される。
仕事だってそうだ。
あなたが居なくても現場のシステムは回るという。
そうだろう。
替えの効くような存在ならただの機械やロボットにでもできる。
AIだって、事象の最適解を見つけるのが仕事としたら、人間の仕事はハプニング≒面白さを見つけることにある。
脳の無限の組み合わせや目の前の事柄の組み合わせで何かが生まれるのだ。
生体は機械(無機質)とは違う。
人はいつか逝くが、機械は壊れたり太陽が破裂するまで現世に居続ける。
誰のために?