リモート、テレワークは結局…
まともに働ける人間を見ると化け物のように感じることがある。
「まとも」というが、なんというかその場の波に乗れるような人間とでもいおうか。
集団のなかで話せて、からかいあったり、誰かをイジメてスッキリしたり、注目の的になって自分を満足させたり、と。
集団というのに、上手く…完全にはムリだろうけれど、それなりにやっていけるのは才能だろうと思う。
もっといえば集団の性質みたいなものを、非言語や言語でもって感知するのが上手いヤツ。
ある意味、学校はともかく会社なんかは、体育会系(※)なノリがあって、自分を埋没させた方が生きやすいというのはある。
その分、没個性的にはなるが、上手い生存戦略だろう。
(※)極端にいえば軍隊。
リモート・テレワークで苦しみがとれたという人がいるという。
あるいは、その分家庭で気を使うから大変という人も出ているらしい。
変な言い方をすれば、工夫や作法みたいなものが求められている様に見えなくはない。
不自由な中での工夫。
病原体は人智を超える。
文化や政(まつりごと)さえも越え、死人すら出す。
しかし、残酷なのはそういう未知なるものがあっても、目をそらそうとする人間側にある。
疫病下で、いまだに…しかも、(疫病以前のように)当たり前のように働かせるところなどある。
しかし「まとも」というが、要はその集団内でいかに自分を出せるか?が叶った人間ではないか。
強者。
残念なことに、これは理屈ではない。
たぶん、放っておけば強きがその場を制するのが道理なのだろう。
それを、文化(とくにヌポン)は見ないものとする。
粗雑にいえば、問題(厄介な弱者)を力ずくで排除できる、技能やパワーのある存在がその場を制する。
なぜ、リモートがなされないか?
現場の仕事…人間がいないとできないことがあるからだろう。
それを「業(ごう)」とした場合、それをしなければ喰っていけない、そんな立場から解放されない。
あとは、相互監視がこれほど広まったともいえる。
サボっているやつはズルい、と。
お陰で自動的に「頑張って当たり前」な環境がいかにスタンダードになったことか!
また、自動的に働くことは健康的であるとか、病的なことはプライベートでなったと…その見方が歪んでいる。
一様性は悪いという学者は居るが、その理由は文化というが、私は保身のためだと思う。
身を守るため。
要はみんな同じことしてないと叩かれるのを避けるためであろう。
排除のやり方は意外と攻撃性が高く、その度合いはストレスフル極まりないはずだ。