精神論が生きていた時代
科学は物事を区別するという。
西洋はそうすることで成功してきたというのは河合何某の言う通りである。
あるいは、脳化・・・Dr.養老のいう、意識が強くなって来た近現代にかけてだろう。
精神論もまた、ある種の意識であろう。
明治くらいまでの文献に「深遠なる」「霊妙」などという言葉が現れるのは、より意識化が強くなっていった時代だろう。
百鬼夜行ではないが、人間に使われたものが付喪神(つくもがみ)となる云われは、モノにも魂が宿っているという、原始的でアニミズムのような考え方だ。
鳥山石燕などは、それを描写してきた。
いまは、どうか?
夏の肝試しネタ程度だろう。
幽霊なんぞやるより、サイコキネシスなんかやるより、ネットやった方が確実である。
無意識に働きかけた作用はブレがあり、当たりにくいときたら、スプーン曲げの訓練などは廃れる。
しかし、戦時は精神論が生きていた。
死ねば神武天皇(?)のもとに向かえた。
何かをしようという時には原動力が要る。
あるのかないのかわからないものを「ある」として、死んでいった。
いま「精神(≒心)」というのを考えないのは、それが「個人」を指すからだろう。
個人をこの国で言った場合、ワガママと言われる。
あるいは、それをいうと機能的でシステマティックな現行文化に支障があるから、それを予感して口に出さないのかもしれない。
そこには、恐怖もある。
村八分は機能主義からはじかれたものと見ていい。
先行世代が村八分について散々解明してきた。
これは、同調同圧についても同じだろう。
政(まつりごと)の遠因をなすとしても、自治を治める小集団でも自然発生することがなくはない。
問題は発生したとき、その時代の人の仕事になる。
明治が精神論をいう、あるいは、大正ロマンに向かったのは、科学的な「切り離し」が現代にかけての萌芽だったのかもしれない。
切り離しがなければどうなるか?
河合何某は繋げるための神話・童話・昔話などを持ち出していた。
対象を人や物事に繋げる。
恐らく、意識しなくても近代以前は出来ていたことなのだろう。
河合何某は村上何某と対談した際、個人が強くならねばいけない云々を言っていた。
それを、阻むのは関係性であり、ファッショであり、しがらみであり、同調同圧であり、権威主義であり・・・個人が個人としてできることは、とても少ないようだ。
私の印象では明治の方が、意識化は萌芽し出していたとしても、個々の生命力は強かったと感じる。
生命力を精神論とし出すのもこのころからではないか?
竹槍と精神注入棒(お仕置用)は、逆に言えば身体性を無いものと見ていた風にも見える。
精神さえあれば、何でもできると。
しかし、明治の場合は身体性はあるものとされていた。
自然に近い生活は身体を感じさせずにいられない。
身体は有限である。
身体があるのは当前(軽視?)として、パールハーバーに突っ込んでいった。
何でもできるが同時に寿命もある、というのから離れていったのが近現代ではないか?
いまは、精神よりモノの方が強い。
ネットの意見は精神だが、扱われ方はモノ同然だ。
情報消費などという言葉があるくらいだ。情報の発信源は脳(≒意見)だとしたら、モノを消費することに準じた扱いになるのもありうる。
意見を消費する、脳を消費する。
元来、意見やコミニケーション自体が消耗品だと、したら仕方ないがその発信量の多さは消化不良的だ。
喰いきれないくらいのバイキング状態だと言っていい。
一時、身体性が大事と盛んに言われた。
風潮というのは偏りがあるものだ。
ニューエイジをやれば、宗教批判もやる。
スピリチュアルがあれば、超現実主義もある。
精神の入れ物が身体であるのは間違いない。
精神も身体もどちらも「込み」でなければ、どこかおかしくなるのだ。
時代を見る限りでは。