やることないとロクでもない②
郡司何某は「みな、発達障害」という。
人間、歳いっても発達に偏りがあるということか?
子供をもうけられる年齢でも子供なのもいるし、子供なのに大人顔負けなのもいる。
たとえば「反抗期」などは消滅したとか云々される。
仲良い親子はよろしい、という。
実は他所で暴れていたらロクでもない。
無くなったというか、生体の生きている状況により不要になる、というのは有り得よう。
死活問題が身近なら反抗期などやっていられない。
また、中高年が評判が良くないとしたら、どう枯れて行くのか?が問題である。
身体は正直だ。
タイムリミットは待ってくれない。
皺や足腰之弱りは根性論では隠せない。
むしろ、辛い現実を見せてくれる。
キレる中高年がたまに前頭葉人間と揶揄されるが、我慢が足りなくなるより、脳の老化である。
江戸っ子は30で隠居していたらしい。
人間一生の知恵かもしれない。
坂口何某は多才だ。
しかし、個人が才能を取り出すには時に自他ともにメーワクなこともある。
誰しも坂口何某になる必要はない。
全くない才能をムリにこじ開けようとすれば、不完全燃焼の燃えカスを撒き散らす。
さきに「仲良し親子」と書いた。
反抗期のあるないは生物学をファミリー単位で見たら、有利な状況に持っていく…群れとしても、生存本能だろう。
コレは、安直な考え方で。
しかし、人間は退行というものを持つ。
ヒステリーが疾病利得と言われるが、退行もまた退行することにより自己利益をはかろうとする現れか?
いや、退行はできればない方が良い。
何故、退行するのか?
身を守るためが全うな理由だろう。
いまは、退行しておき、形勢逆転が可能な時期に来れば退行は解ける。
そこら辺はおおらかに見ないと見苦しくて仕方なくなる。
中間層は何事も後回しにされるのが常らしい。
さきの、郡司何某もまたIQの極端に低いのは擁護されるが、軽度や低層ギリギリなどは放っておかれる。
ある意味、平均的…いや、平均より下の層はまたそれらで生活しているのである。
要は自分でやれ!と言うことだ。
何かを盛り立てるとき、騒がしくしないと見て貰えない。
IQ60-80層がいま、いま言われるようになったのは、ただスポットライトが当たっただけか?
それとも、発達障害バブルのような流行りか?
しかし、患者は困っているという。
発達障害にしても、フツーに合わせられない。
(私などは人格や魂の問題からフツーに合わせられない)
犯罪者になってから発達障害とわかるのは気の毒だろう。
みながスイスイやるのに手こずる。
アベレージから見てもできない、サボり、ダラけるなどのサインにしか見られないなら、叱責の対象となる。
いつも。
Dr.中井などはヌポンなどは患者に細かい事を世の中は要求するという。
人間の要求は際限がないように、今は、見た目ハンディを持つ人が分からなくなった。
逆に薄汚い格好をしろというのは酷だが、その割には並な格好をする、というのは患者がしたいからそうなるのか?
しかし、結果としては無個性な感じが蔓延してやしないか?