分かることは少なくても…
(´・_・`)「・・・」
たとえば、ジャーナリストのコラムがあるとしよう。
ページをめくると・・・あらら、この先は有料会員のページだ。
この手の話しはネットを見ればよくある。
ホ〇エ〇ンではないが、こうすること・・・有用そうな情報があるとカネとることで、商売になる。
売れっ子メンタルドクターがいたとする。
内容はどう見ても、もう少し頑張れば貴方ならできる・・・系なライトなことを書いている。
要はその職場にはまだ救いがあることを示唆している。
こういうのを「間違いない場所で働く人のためにある記事」とでも言おう。
もっといえばマジョリティ向けな話なのだ。
丸オレンジはもう少し大きいかもしれない。
マジョリティのなかのマイノリティなら救われる。
ところが、全体を見回しても前例を紐解いても難しい場合がある。
マイノリティ中のマイノリティ。
この場合、全体で上手くいきそうなことを助言してもなかなか役に立たない。
この場合、丸の紫は独自の世界を開発していかないといけない。
我を救うことも我で見つけ出す次第だ。
ときどき、売れっ子メンタルドクターのページを見ると、イヤになることがある。
(´・ω・`)「それ、アタシとこじゃ通じないよ!」
と、言ってやりたい。
いや、メンタルだけでなく、教育学者や有名な福祉の人間もそうだ。
むしろ、正論や道理、常識だけど使えない。
正論一本槍では現場はザワつくだけだろう。
というのも、誰かを大事にしていては仕事にならないみたいなことがあるからだ。
救いの言葉が真に役立つか?といえば、その場では流れの妨げになる。
確かに教育学者のいう、発想の大事さは痛いほどわかる。
分かるのだけど、果たして発想がその場では要るか?といえば、いらない。
発想などありきだから。
共通しているのは、発想のない硬直した仕事内容だろう。
やることをやれ、というのは昔から変わらない。
個人事業や上に立つ人間ででもない限り役立たんだろう。
oh......
そうよね。
どちらかといえば、そういう記事に読むのは余裕ある人間だものねぇ。
超有料会員や裕福層向けの記事もあるくらいだから、書く側もその人ら向けに書くのだ。
こういうところで階層を感じさせる事態が刻々と進んでいるのだ。
余裕ある人のなかのマイノリティ。
余裕ない人のなかのマイノリティ。
王様と乞食の話を思い出すなぁ。