「U」を読んだ
深刻な1冊を読み終えた。
安易な発言は誤解を招く。
簡単にいえば・・・たとえば、理想を裏切られた若者の腹いせ行為のように見えなくはない。
「大人」はそんなリスク込みでやってる。
だから、黒岩さんと議会が揉めて、遂に有耶無耶になる。
あの、無鉄砲なヤツをどう始末つけるか?
「残虐」なヤツでどう方向持って行けるか?と。
要は施設でいかがわしいことがあっても、無いことにしておけば食い扶持には困らない。
しかし、汚れ仕事で腹が立つ。
だから、つい手を上げる。
それすらも、ないことにする…見せる。
この事件には利権が絡んでいるから、深くやるなら文屋がやらないと、素人が言うと痛い目にあう。
これ以上は、比喩を絡めて別のことを書く。
ドキュメントと専門家が書いた1冊だ。
1人の問題…子供なら問題児にできるが、問題を持つ者から、色んな見方が予想できる。
心理や、世の中、法曹、世間の縮図など…
特に著者は「わかりやすさ」を求めるやり方がいまは強いというが、考えたり、ゆっくり結論を出す方に世は求められていないのだろう。
思うのだけど事後研究ではないが、コレ大事。
いまは、疫病でうるさいけど、これを何らかの形にして後々までクチャクチャやっていたら、将来何かあればためになる。
基礎研究はカネにならないというが、予防医学としてはやっといた方がリスクやコストは抑えられるだろう。
未来の1点のときに。
Grass(麻)についての話がよく出る。
結構やってるヤツがいるようなニュアンスもある。
植松もあれは幸せになるなんて提案しているが、暗部でやってるヤツからしたら、陶酔はやっぱ幸せなんだろう。
同意が返ってくると思う。
ただの草だというヤツもいるし。
さきに、M先生の記事を書いた。
薬物はADDICTIONの入口だというが、Grassも他のハイパワーなブツへの扉というとこを読んだ。
アルコールにせよ、ヒロポンにせよ、ニガヨモギ(アブサン)にせよ、デパスにせよ、一時の苦痛は逃れられるが、持続しない。
なお、一時の苦痛から逃れ(待避・退却)改善を目指すのがメンタル科であり、向精神薬である。
ものごとは、悪用あり善用ありだ。
シャーマンなどはシロシビンなどで、患者の無意識を・・・爬虫類脳まで退行させ、解法を求める。
過去、既に解法は用意されていたのだ、未来への。
Alc9%は飲む福祉。
自己解決(≒自立≒自己実現?)を目指そうとする者にとって、Grassは次のステージのアイテムなのかどうかは私は判断できない。
ただ、アーティストが独創に行き詰まるとGrassをやる、とどこかで聞いた。
これと同じことか?
そうそう、アオツブも貝だが陶酔する。
テトラミンというタンパク毒らしいが、嘔吐、目眩、ふらつき、不快感を催す。
ブードゥー教みたいではないか?
だから、唾液腺は取りなさいとある。
話が飛んだ。
私の予想では植松は世の意見を汲んだんではないか?と思う。
それも、暗部のおどろおどろしいものを。
フツーの人間はそれを見ないように、あるいは無いものとして、あるときはコミカルに冗談として、スルーする。
じかに、生で取り出すと、露骨な凶悪さが出る。
大問題ゆえ、フツーは触らぬ神に祟りなし。
森さんは考える方が良いというが、間違いなく市場どころか、生活や文化が滞るだろう。
まぁ、それを直感的に人は分かっているし、何よりも生活が優先だから、なるべく考えないようにしている。
だから、ときどき噴出する。
オウムみたいに。
何かを犠牲にするのはありうる。
健康を害して働いたり、誰かに負担をかけながら、漸く生きていたり。
延命地ではないが、福祉にはカネがかかるのは間違いない。
それを植松は拡大的に暴いた。
ある人は特養に入ると虐待されるからイヤだという。
やっちゃならんが、やってしまう。
そういう世界はウワサでなく現実あるようだ。
虐待されながら、この世を去る。
これを、植松はどう誘導解釈していったのか?
・・・影響されたのだろう。
虐待者に天秤が傾いたのか?
そして意見も、スピーカーのように大きくなる。
これは、難しい問題だ。
「やっちゃならんが、やってしまう」で世の中成り立っているところがある。
見ないようにして快楽にいくなら、世の中の快適さも似たようなものだ。
実にADDICTIONな世界だ。