大事なのは…
※メンタルについて語ります。「その方面」が嫌いなら見ないでください。
むかし「とある人」にハンディを持つ人にもイヤな人はいる、という話し合いをしたことがある。
ハンディを持つのは気の毒だ。
しかし、だからと言って虐待やハラスメントをしていい理由はない。
「とある人」は虐待やハラスメントをしたくなるのはわからなくない、というが本当だろうか?
正直、私は張り倒したくなった。
わかる、わかる(共感)でエスカレートして、刺されたり、目玉くり抜かれたりでもしたら・・・それでも許されるのか?と。
いまは、老人が多くなった。
また、ハンディを持つ人が見えにくくなった。
人には何らかの見えない弱点・・・ハンディをもつこともあろう。
ハンディをもつことと、虐待やハラスメントをするのは別だと私は思うんだけど。
わからないんだけど、世の中不思議なもので、巧妙に分からないような虐待やハラスメントは、しても良い、というのがある気がする。
形さえ変えて…分からなければ、やってもいいという、残酷なところがある。
「(見えなければ)法さえ守っていれば何をしてもいい」の変形がバージョンだ。
大人世界や政(まつりごと)はそれを、見ないようにしてきているのだけど、子供から大人になるにかけて、世の中はそんなもんだ、と受け入れていく人の方が賢く、疑問に思ったり、一々、突っかかっているヤツは生きにくいようだ。
学校から就労は一般的な流れなんたけど、そんな世の中の邪悪さを「込み」にして、やっていく方がラクらしい。
まぁ、先の人との話は部分的には間違いではないが、全肯定の面では私は賛同できかねる。
人の過去について知る由もない。
しかし、そこに何らかの挫折があったとしても・・・たぶん、それがその人の一部だとしても、付き合いにくい人というのはいる。
私みたいに(・ε・` )
手に余るけど、その人の問題か、そうさせる環境が問題なのか複雑だけど、手の出しようのないものは仕方ない。
被る火の粉は振り払わねば私がやられるから。