M先生のいま
夜廻で有名だったM先生。
いま、客員教授でK党に接近しているようだ。
どういう末路だよ。
1度、大病を患い電話相談も閉めたと思ったら、そういうことだ。
某氏からは天才と言われていたが、生身の人間だ。
病にはかなうはずが無い。
ゆえに、某党派に近寄ったのはわからなく無い。
1人の力などたかが知れたのか?
M女史なども某団体に所属していたというが、本人の悩みに合わせて集団が無意識にも接近することがある。
これを、奇縁というか拍子という。
まぁ、M先生はいまも形を変えて子供を救おうとはしているけど、無理はできないようだ。
というか、当たり前だ。
下手したら生命ないぜ?
あの精力的な活動でさえティーンエイジャーが悪い道に行くというのは、果たして世の常か?
あの大心理学者ですら、ティーンエイジャーは荒れるのが相場と言っていたが、大人が本気で構うものなのか?わからない。
M先生はドラッグやるのは、弱いというか寂しいヤツだ、みたいなニュアンスを漂わせる。
しかし、考えようによっては弱い時期、寂しい時期なのかもしれない。
不幸な道を行くのもあれば、回復する道を行くのもある、心身の大改造≒これを思春期という。
人間の大変な時期であると心理学では定番の文句だ。
あと、この手の問題のパターン…分かってきたのは、ドラッグは一方では楽しめるヤツも少なくないということと、子供が荒れたり寂しくなるのは、いと仕方ないという構造(許容している)ではあるまいか?
あの人は哲学屋だ。
チト、悲惨な過去もある。
しかし、自分を他者へ感情移入をアチコチしていたんでは痛い思いをする。
一直線な考えは多角的なものを見えなくする。
むしろ、バカをやって(やられて)いい大人になるという考え…不文律な考えがベースにあるゆえ、弱いor寂しいヤツがいるのではないか。
ヤンチャや武勇伝を語る大人の多いこと。
世の中のベースはむしろ「透明な勝敗決め」な気がする。
弱い、寂しい、辛いなどは安易に語れず、武勇伝や成功体験、失敗のバカ話に昇華して語らないと居られない。
ネガティブなことは禁句である。
自分が売れなくなるから。
まぁ、黒歴史を武勇伝で語るのは粋ではないが、倫理無用で人生楽しむ中高年も少なくない(はず)。
どこかで人はバカをやってるものだ。
これが、中高年の品性の無さに繋がる遠因と思えなくもない。