中年の危機(私論)

※素人が憶測(妄想)混じりで話をします。

 

最近のスマートなサイトの記事は、大学のレポート調にされていて変化が乏しい。

 

個性はいけない、とかいってもあんなのばっかりなら、少しは変化を付けた方が良い。

フォーマットは読みやすいだけでなく、面白さもなければ、文化の発展はない。

 

ゆえに、私のフォーマットは非定型になる。

(´・_・`)「・・・」

ものごとが整い過ぎれば、どこかで乱雑さ(≒エントロピー)が増えるというではないか?

 

さて、中年クライシス。

さっき、自殺の記事を読んだ。

若い人が疫病下で死にやすくなっているという。

まぁ、発散の場や承認の場がなく、満たされないからそうなるかもしれない。

若さゆえの無茶ってヤツができない。

 

しかし、データを見る限りでは、やはり中高年が多い。

人間、普遍的に見れば、生活苦、病苦などの生きにくさがあるだろうが、人生は四苦八苦である。

 

さきの記事に心身ともにピークは40までと書いた。

一番の不安は「焦り」ではなかろうか?

生まれてきて、体力も陰りが見え出し、果たしてやることを…人としてのやることを、やれただろうか?など、である。

 

また、今までのようにムリは効かない心身への不安、これからの自分への処世を見出さないとならない。

ゆえに、妄想じみた自己実現(?)や願望などは、叶わねば怒りとなり外に向かえば暴力や殺人、内に向かえば自傷や自殺になるのではないか?

 

要は上手く歳をとれなくなった。

あるいは、上手く歳をとりにくくなった。

ハラスメントや虐待じみた労働のなか、生計を立てないとならないというのもわかる。

 

しかし、一方では「できるはず願望」から解放されず、できないことで・・・どこかで、相当な憂さ晴らしをしないとやってらんないんじゃないか?と、そんな気がする。

 

若い人に比べれば、中高年は狡猾な面もある。

老獪になれば、どこでどう巧妙に「悪さ」を組み入れる事もできなくはなかろう。

かましくなる、狡くなる、起爆剤(※)をしかけておく、などの悪知恵が働くようになる。

働かせないと、体力維持できないといはうのは分からなくない。

(※)たとえです。

 

さらに、中高年といえばメタボ(※)だろう。

何らかの病…前駆症状は1つ2つはあろう。

もし、それを持ちながら狡猾な悪知恵を働かせたり、老獪やっていたら、周囲は複雑になる。

まず、先に相手にしなくなる。

詐病の区別が付かなくなる。

(※)旧称:成人病

 

ゆえに、傍から見て中年の危機などは、果たしてあるのか?になる。

内的な焦りは怒りを増幅させる。

風紀の乱れた生活はおろか、すぐ殴る、暴言を吐くなど、やはり良いことは無い。

 

年功序列や舎弟制度の再来を待ちわびるのもありだが「老害」という言葉じたいが不穏な響きがあり、居てロクな事しないから尊べというなら、そのうち本人は承認欲求が快感でクセになるし、周りも付き合ってらんない。

快楽の味を占める。

 

敬老などの制度自体が文化の装置で機能していたのは昔の話だ。

デイサービスや老老介護でいまは忙しすぎる。