考えることの意味
「本など時間の無駄だから」
は、活字中毒の私にとっては迷言であり、侮辱であり、差別であり、蔑視目線であり、陰キャであり、クソみそである。
しかも、上から目線なやり方が何とも決まっている。
そういうヤツがたいてい何やっているか?といえば、株価チェックとゲームと風俗だろう(オマケにドラッグが付くかもしれない)。
たぶん、要領のいいヤツなんだと思う。
啓発本に誤魔化されず、自分の欲の道を知っている。
現実感覚に長けている。
どういう時にどういうことをしすれば良いかツボを押さえている。
あらゆる…明るい道や暗い道を使い、どういう時にどうなるかも分かっている。
ある程度、他責もでき、いざとなればトンズラかまして保身もはかる天賦の才の持ち主ともいえる。
(´・ω・`)「あんまり相手にしたくないし、敵に回したくないヤツだ」
結論はそれだけ。
さて、考えることについて。
哲学科が喰えないというが、高等教育まで行かない私が言うのもなんだけど、学問などしていてはやはり喰えない。
仕事などしていれば学問など・・・内容が薄くなる。
万券が渋尺栄一だから、しかたないんだけどさ。
では「考えること(≒哲学)」など無意味か?といえば・・・やればいいと思うよ。
無料だから。
もし、考えることが有料だったら人類史で哲学など出なかっただろう。
ただ、それやれば陰キャまっしぐらで、ドン引きされるから、あくまでも個人的に。
究極、言えば人間逝くんだから、とりあえずアレコレぶつかっておいて「生きる意味」みたいなのの確からに・・・嘘でも虚でもいいから考えて居た方がよろしい。
脳などは燃費の悪い臓器なんだけど、体動かしたり、カネ障っていたりするのが好きな人もいれば、じっと考えているのが好きな人がいるようだから。
ただ、陽キャ陰キャは置き、ニュートラルベースで何となく世の中と付き合っていた方が、陰キャゆえのドン引きは防げるだろう。
『オマケ』
若い人が優しすぎて「ナチス総帥の気持ちがわかる」という意見がある。
総帥の微笑ましい家族動画が白黒で確かにある。
敗戦の気配が近づくと家族は自死したというが、戦犯で拷問喰らったり、家族が袋叩きされる可能性があれば、賢明な決断だろう。
やったことが大きすぎた。
・・・誰だったか?ボケて名前が出ないのだけど・・・アイヒマンだっけ?
仕事(戦争)で殺人しに行き、家では良きパパだったという。
しかも「あれは命令だったから」といい、自身には罪がない様子だったらしいから。
外で殺人、家でよき人(父あるいは母)。
どうなんざんしょ?
「分かるから」系の殺人は分かっちゃならない気もする。
たぶん、仕事だから、仕方ないから、命令だから、でサッパリ決めるんだろう。
考えること(=葛藤)にはエネルギーが要るのよね。
長く生きれば恥が多くなる、という言葉があるけど、それに近いかも分からん。
私の予想と妄想では、若い人はより内向きになっているのかもしれん。
「家族」とか身内という言葉は時に視野を狭くする。
世界を見にくくする。
他者というのが見えにくくなっているのかもわからん。
あるいは、他者は身内の延長のようなものとみているのかもわからん。
これだけSNSが流行り、結果できたのは親密圏だろう。
親密圏では人は退行し、甘え(≒友達感覚や暴力<※>)が出るという話もある。
他者へのある種の慎重さが失われている…と感じるのは私の妄想かもしれない。
<※>気軽に「バカ」とか言ったり、簡単に頭をどついたりする感覚。