なければ自分で書く
今日は本を忘れた。
本はたぶん生涯のパートナーだろう。
棺桶に整然愛した数刷を入れてくれりゃいいと思うけど、いまはリユースがうるさい。
死者より生者を大事にする文化(≒カネ?)ゆえ、勝手に文化財産を独り占めしやがって、など死んでまで後ろ指さされるのだ。
あとは、残ったものが勝手に売りさばいて換金するだろうけど、死ねば死にきり、地獄にはモノは持っていけやしない。
死者は時に勝手な解釈をされる。
現実が忙しかったり、余裕がなかったりすると生者の強い解釈だけが、その場を支配する。
まぁ、本を忘れる私がいけないのだろうけど、こういう時もあるさ。
無いときは書く。
陰キャは話すより書く方が上手いと信じて書くしかない。
スマホが出回りだしたころは、情報をいかに速く取り入れるか?だったけど、いまやツイッタはおろかLINEなるものがあり、その伝達速度の速さはまさに、感情のやり取り。
古代でいうテレパシーだろう。
ときどき、超感覚的知覚が話題になるけど、どう考えたって不確実な伝達手段は流行りにくい。
スプーン曲げですら、視線+意識で成果が変化するのだから。
こんな、神秘を物理が量子で説明しようとする(場合もある)けど、それ以前に無意識の方が成果が良い方に目をやった方がよろしい。
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帰ってきてもこんな阿呆な文に手を加えているんだから私の「陰キャは会話より書く方が得意」説への、のめり込みは尋常ではない。
それより、U師匠の現代人クリアカット会話説。
要は躊躇ったり、言い淀んだり、中途半端なもの言いより、快晴の空みたいな分かりやすい回答(解答)を現代人は好むと。
説と言うよりは風潮だな。
ここから、連想できるのは「葛藤≒成熟度合い」が浮ぶ。
有名高学歴エリート芸人が「ようつべ」で、5教科のどれかを綺麗に説明したりして、それが大人気というのも影響してるだろう。
私などは落ちこぼれ中の落ちこぼれだから、5教科については、偉そうなことはいえない。
ただし、何で1+1が2なの?といった発明家のように、いつまでも、そのレベルで悩んでいるタイプなので~。
クリアカットは単純な言動ともいえる。
U師匠は単純でなく複雑なままもっときませんか?という。
わたしの印象では生活、仕事、その他のシーンで単純な物事は見られると思う。
そのうえ、クリーン、爽やかだったら完璧だ。
たぶん、流行りなのかもしれない。
私などが言い淀んだら・・・過去、暴力が許された時代なら袋叩きに合いそうな・・・雰囲気になる。
まぁ、即席で煙のように消えるタブーかもわからん。
でも、どちらにせよ単純なというのは、反対概念の複雑を許さない。
大人扱いしないどころか、人間扱いしないことがある。
酷い場合、人間出来ていないんだから、分かりやすいヤツに従え!となる。
これは「偉そうなことは偉くなってから言え」の亜種かもしれない。
いま価値は単純にある。