混乱さなかの某国

「ファクターXは幻想だ」岩田健太郎医師が説く“withコロナなどありえない理由”(文春オンライン) - Yahoo!ニュース

https://news.yahoo.co.jp/articles/2996b29e19365f8b88e6cccdd1d60d812cc2c34b&page=2
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邦人がいち早く安心したい気質がある、というのは同意する。

しかし、ネガティブな事をいうと怒ったり、安心材料の多い反論が返ってくるから会話にならない。

 

「大丈夫、大丈夫」

「もう、みんな抗体できてるから」

「死人は少ないから」

 

コレ、身近な人からもよく聞く会話であり、Go toにしても「行って罹ったらバカって言われんだよね~」などと、危機をあたかもイベントのように扱う心性がある。

Go toにせよ、お得なのだから行かなきゃ損みたいな感じで「軽く」「甘く」行くのだろう。

 

(´・ω・`)「得じゃねえよ、割引の出所どこだよ?」

 

ファクターXは中有だ。

イメージであり、あるかもわからん予想だ。

それをプラスに見積もって上は使うだろう、と。

可能性…中有の存在は都合よく使われる。

 

エコノミックアニマル。

「儲けた分だけ楽しめる」は多分、数十年前の成長期の遺産に違いない。

頑張れば更に豊かになる幻想。

いくら、頑張っても給料変わんないんだぜ?

とある階層に行かないとそういうのは実感できないのよ。

 

まぁ、官僚も大変というけどわからん、今が大変だか昔がラクだったのか。

しかし、○○のためという手触りのある目標がどこかADDICTIONな感じがしないでもない。

公≒公共≒不変な仕事(?)を黙々やるというのは、基盤…あるいはちょっとした将来性を支えると言えなくもない。

 

ファクターXの話が出た。

あれば得、無ければ損くらいの淡い期待の方がよろしい。

実際、死人は少ないが居る。

急病人の入るスペースがありません、などというのは困る。

ゆえに、防衛線を張らなくてはならない。

 

地下鉄サリンでもあったが穢れを嫌う・・・というが当たり前なんだけど、医療者同士罹っても相手を忌避するんだから、我が身が可愛い。

当たり前なんだけど。

じゃあ、テメェがジャンヌ・ダルク(※)になれよ!と言われても困る。

(※)救世主あるいは英雄

 

英雄の末路は抹殺が相場だ。

安定してしまった世の中の牙では英雄の鋭さはかえって不要になる。

というか、あっても危ない。

もう一度、世の中を掻き回すのは世の中を解体し更に疲れさせる。

 

幸い、私にはそれだけの能力はない。

脳も出来がよろしくない。

だいたい¥900万ないと高級な大学に行かれないらしい。

ここ3-4年のデータでは。

 

¥900万と言えば、アレよ。

月に¥70万以上稼がないと余裕と1歩引いた落ち着いた視点を得られないらしい。

高等教育の骨子は、余裕もって物事を考えるスペースを造ることにある・・・と私はいま思う。

連想できるのは管理者や上空から俯瞰できる者の育成だ。

あとは、ソイツの性質にかかっている。

だから、論語でも六韜でも研究すればよろしい。