非現実逃避②
「いまは時代が辛いから人が辛く当たるんだ!」というが、そうだろうか?
当たるヤツは当たるし、当てないヤツはアテナイ。
それだけだ。
ある意味、真の意味で「キュア」というのは贅沢品でもある。
N老師の時代でさえ、神経症者には休ませた方が良いと言うが、働けば治るとか、働けば治ったことになる、という言葉が溢れていたという。
欧州でさえ患者は罪人ではなくキュアを受ける者だという、差別克服の過去があった。
しかし「働けば治る」なんてのは、なんて残酷な言い方じゃないの?
働くとは世間に出るということでもある。
世間というのは、程度の差があれ土着の風習の温床であり、機能主義が重宝されるニッポソでは、上手く機能しない場合は、クソみそに言われることもある。
いや、言われることの方が多い。
あと、競争原理というのは自己有利への道であり、相手を蹴落として、たとえささやかな自己満足を満たすなら、川崎のヘイトデモへも向かうことさえあろう。
私は、あれは自分を格上の存在に高めたいという、浅ましい現象ではないか?と疑っている。
または、巨大なストレス発散とか。
非正規の中でも序列があると聞いた。
ランク付けであり、カースト制度であり、悪いと思っても止められない中毒性のあるものだ。気持ちいいから。
底辺マッチョとか、下級(国民)の中の上層民と言われるものだ(いや、わたしが勝手に言ってる)。
断定口調で、その場を仕切りたがり、活躍する振りをして、その場を仕切りたがる。
自分に従わない者には、断罪や禁止を言い渡し、現場監督顔負けの振る舞いを見せる。
まさにマッチョイズム💪
何故、優しさも、倫理もクソもないか?というとメンドーだからだ。
火炎であり、火の粉を飛び散らせ、利権や身の危険があるなら、たとえ監督上司だろうがなんだろうが、関わらない。
まぁ、みんな我が身がかわいいんだろうな。
私もそうだけど。
もっと、軽く見積もっても競争意識というのはあるわけで、ただの金儲けに加えて、そんなアホらしい「意識」とも付き合わないといけない。
だから世の中(=現世)ってめんどくさい。