不安から生じる厄介事のほうがデカい

夕方、都内某所の公園に寄る。

最近は・・・

「観賞用公園」が多くなった。

キャッチボール×

かけっこ×

人にメーワクになること×

犬の立ち入り禁止×

飲食×

汚す行為×

 

・・・・・・などなど、他にも書ききれない事があるのだけど、やりすぎである。

これを神経症的という。

 

特に企業の敷地に官民連携の公園などは私有地?公共?のグレーゾーンをいい事に、警備員が徘徊し不審な動きや変わったことしてりゃ、手前(テメェ)のルールを盾にして・・・

「ココ、それやっちゃいけないです」

なんて、堂々とイキって言ってくるもんね。

もちろん、何かのイベントがあれば立ち入り禁止になることだってある。

「公園」と都心には称した所があるが、時間制限、20時まで、なんてとこもある。

何が公共の場だ?

 

マックじゃないけど、ベンチは大抵仕切りがあり、横になれない。

浮浪者対策なんだろうけど、それでも厚かましく植え込みの端で横になれば、すぐに警備員が飛んでくる。


ルールや正しさを盾にして人の言動を征(制)してくるヤツが増えた。

キャッチボールは危ないからダメというが、不安分子をプチプチ潰していくようで、仕舞いには何もできなくなるんじゃないかしら?

だから、観賞用公園になる。

 

遊具なんかは、〇〇歳以下の子供ならOKとした、柵が張ってあり、親子のための小綺麗な蛇口まである。

悪くは無いけど、その分蛇口の数が減った。

無いとこもある。

 

森さんや望月さんらは同調効果や集団化を問題にしているけど、それに加えて本能由来の不安が強くなってるんじゃないか?と私は感じる。

防犯カメラ(正義)が増えたら正義の側に付く。

正義の数が増していく。

不安に不安を潰す行為を重ねたら、どんどん不安になっていく。