強制移送施設あるいは…②

さきの記事の続き。

じゃあ、オマエはどう思ってんだよ!な話になる。

 

いまは、露骨(じか)に意見を言うとうるさい。

エラそうなことはエラくなってから言え!みたいなのと、誹謗中傷だ!みたいなのがミックスされた感じだなので。

まぁ…意見に意見に言って誹謗中傷と言われちゃあ何も言えんがな。

 

で、たとえて言うなら・・・というか、施設では算数ドリルやらせたり、畑耕させたり、ボランティアさせたりするのが定番だろう。

昔ながらのこった、予想はつく。

・自然に触れるのは良い事だ(身体造り)。

・ボランティアで改心させ善意を育む(感謝)。

・ドリルで単純効率作業になれる(就労)。

が、エッセンスなとこか?

 

やってることが、刑務所と変わらないんじゃないかなぁ。

・・・と内容を続けていきたいけど、娑婆での仕事だってやることやんなきゃ、怒鳴られたり頭叩かれたりすんだから、あんまり変わらない。

空気(雰囲気)読んで、皆と同じことして、同じような考えかたで仕事に挑んで、まるで大型機械の一部品になったかのように、与えられた役割をこなす。

そのうえ、全体システムがよく回るように気を使わないといけない。

 

人権派、人権叫んでるのが上辺で、ベースはもっと無機質で血の気のない暴力的なもんだぜ?

多様性だとか、考え方の広がりを云々言うけど、現場に出れば、そんなのは吹き飛ばされる。

だから、私はそんな私立刑務所は娑婆の仕事と五十歩百歩だと思う。

 

KYだとか流行ったけど、私は空気より雰囲気の方がしっくりくる。

同じ時に同じような話しをし、同じ考えていることを確認し合う。

共有の話といえば仕事になる。

仕事だけの話だけでは多様性など生まれるものか。

 

と、ここまで書いてきてかなり非社会的なことなのだろう。

カネのためにはいや思いもしないとならない。

それを、オブラートにしたのが、上の項にある「ボランティアで改心させ」で笑顔を作らないとやってられないのだろう。

これを、お花畑という。

もっと露骨に言うは人はケシ畑という。

ラリって(酔って)正気を失わさせながら、どうにかやっていく娑婆の過酷さだ。

脳内麻薬💉

 

でも、じかに世の中のことをいうのも煙たがられる。

コレを野暮という。今流行りの「草ッ!」だ。

分かっていても言えないのを言ってしまえるほど憎いものはないのだろう。

だから、皆我慢していると説教される。

世間はこうなのだと言い、発想・創造性や工夫の芽を摘む。

ゆえに、わざと非効率(≒不合理)な事しているんじゃないか?ということだって、世の中にはゴロゴロある。

疫病でマスクが一時、値段が跳ね上がり、手に入れられなかったのは、業者にが互いにヨコを見あったからだろう。

いま、製造販売元したら利権に絡む。

五輪も絡み疫病のある国として、イメージダウンになれば、株が下がる。

まぁ、カネを優先させたんだろうね。