似非科学者として
苦しんで死ぬより楽しんで死んだ方がいい。
コレ、名言。
安楽死に繋がる時、利害関係に使われたり、不都合な者排除になったり、するから安易に認められない。
いまは、それしかない。
しかし、使えるものを使わないで我慢せよ!と言い精神論に走るのはいけない。
大陸は眠れる獅子といわれた。
起きた獅子は産業技術が目覚ましく発展している。
人クローンを作ってしまうんだから考え方が違う。
某医師も性のことを、自分はそんなこと言っていないのにどうしてそうなる、というが、考えてみれば、向こうには詐欺師は本物という言葉さえある。
詐欺というか、バグ、間違いでもいい。
強迫神経症みたいに他人の間違いをあげつらうヌポンでは、間違いなんぞ・・・その場で犯したら言葉のナイフで切り刻まれるようなものだ。
もっと、間違いはあっていいと誰が言える現状だろう?
いや、失敗も含めて余裕なくなってるな。
ビタミンP飴。
有効成分を食品にしたらしい。
抹消血管拡張の作用があるという。
モノグルコシルヘスペリジン。
長いし、見慣れない。
有効成分の発見競争は生命工学の分野でも特許取りで凄いことになっている。
やれ、さきに論文だしたの
やれ、さきに記者会見したの
とにかく、ヘスペリジン。
漢方では陳皮として理気剤として使われる。
気滞という、気の停滞しやすい人に使うそうな。
味覚糖はおそらく、ノドだけでなく冷えも狙ったのだろう。
リモートワークおろか、デスクワークは動かない。
動けば1番暖まる。
しかし、走り回りながらOffice workをするわけにいかない。
顰蹙を買う。
動かなくても手足などの抹消血管を広げ血流を動いた時のような状態を目指す。
なんて、合理的だ。
まさに、苦しんで我慢するより快適な方がよろしい、である。
なお、科学にはバグをもって新発見ということがある。
ルーチンワークで正しい、堅実で無難なことしか認められないなら、科学の方は灰色になる。
間違って注入した、寝過ごして温めすぎたなんて偶然が新発見を産む。
しかし、いまは待てない。
脳で予想できそうなことを繋げて発見とする嫌いがある。
まるで、迷って美味い店見つけた!というのを嫌うかのようだ。
だから、隠居したい(デカダンス再入門②)
「はたらかないで、たらふく食べたい」(栗原康著)
(´ ゚ω゚`)「まぁ、本能的な表題だこと」
躾(しつけ)じたい疑問視する心理の先生もいる。
社会性につながるからというが、それは親の好みだったりする。
・・・というか、その社会もあるのかどうか怪しいもので、最近では社畜どころか、都合のいい人間を作り出す、イエスマン製造所なんてのもある。
どれだけ、自分を壊しているんだか?
行き過ぎた○○が自身を損なうように、やり方が過ぎればいくら人造の良いとされる何かしらもまた、自身を害することがある。
上級国民や富裕層などの言葉はスタンダードになりつつある。
そるが、当たり前になっていく。
彼らに抑制はあるか?
いや、出来るからやるのであり、何が悪い?というものだろう。
ツイッタなどは無法地帯になっている。
一般人でさえdisられるシーンが増えた。
私がSNSにのめり込まないのは、それに耐えられないことがある。
プロレスラーでさえ自死に追い込んだ。
最近では、要は虐待されるより、する側に回ればいいんでしょ?なんていうケースもある。
未成年だろうが、たまに…いや結構、成人も「分からなければやる」のがいるから、救いようがない。
プロレスラーが自殺したというが、弱いのではない。被曝の量が多すぎたのだ。
言葉というのは武器に代わる凶器になる。
通常の線、とは一億総中流が生きていた時代の言葉であり、アベレージなラインだった。
しかし、いまは「勝ち組」という言葉を通り越し、ラインじたいが遥か彼方の雲の上の存在である。
栗原氏は過去の支配時代よりタチが悪いというがその通りだ。
システムが出来上がっている感じがある。
○すれば(ならば)、✕すればいい式のプログラムができてしまっている。
ゆえに、どこにもいけないし、どこにもいかせない。
学校じたい問題があれば警備員がスマートに介入する。
なお、家庭内暴力なども警備会社がサービスしており、深刻なら医療へ搬送することも可能だ。
ALSの深刻さを最近観た。
命の選別はあってはならないというが、最後は肛門でYES、NOの返事をするのだというからやりきれない。
病というのは屈辱との戦いにも見えなく無い。
酸素、栄養さえあれば、生きれるが周りが大変でもある。
どうするか?
ツイッタを撤退した某医師はポンニチでは自死尊重は止めた方がいいという。
悪用される可能性が高いからだという。
悪用は綺麗な言葉で語られる。
経費がかからないはその通りだが、不都合な人物を排除するということで悪用…乱用されることがある。
森氏もまた、誘導によりあたかも本人が望んだようにさせられるだろうということを、ALSではなく別の問題で語っていた。
某医師はまず、70年前の対戦が過ちだとして倫理がしっかりしないと自死尊重は設定しない方がいいという。
…まぁ、ムリだろうね┐(´д`)┌
乞食に乱暴した武勇伝や、スクールカースト上位でヤンチャしてれば、ハクが付くくらいの意識でいれば、「勢いあれば嵐の後の祭りは仕方ない」などとされるんだから、そこで出た被害はあって当然になるんだから。
いや、最近では無かったことにさせられるか!
デカダンス再入門
(´・ω・`)「オマエが元々、ロクでもねぇじゃないか?」
正論だろう。
いまさら、デカダンスやアナアキズムを語るまでもない。
維新士グループには、若くして結核で逝ったのもいる。彼らは普段、市井の仕事をしていたか?
抗生剤が出る前でさえ、転地療養はサボりとされ悪い噂の種になった。
読んだ。
「はたらかないで、たらふく食べたい」
いい言葉だ。
ひらがなが多量に使われているのもいい。
著者自自身がハーミットのような生活スタイルなのも、なおよし。
カネがなければ・・・というか、カネを稼ぐ生活でなければ、消費は許されない≒人でない、というメッセージが本書では読み取れた。
参考文献もよく調べてある。
変な話、遊び人というのはある意味、融通が効く、機転が利くような存在であり、勤め人の持つ頑固さとは程遠い。
ルーズさは良くないと言われるが、時間や空間に縛られている現代・・・システムでは、硬直化がイライラの原因に思えてならない。
だから、デカダンスであり、アナアキズムなのた。
ひと昔前から、風穴を開けて、世の中を生きやすくしようなどと、その道の人が言ってきたが、資本社会は発生因子自体を上手く取り込んでしまうアメーバ的なものがあるようだ。
使えるなら・・・使えるようにして取り込むという、いやらしいやり方だ。
働くというのは不思議なものだ。
半分は租税で持っていかれるのに、ようやくヒーヒー言いながら生活やっているのだから、これを常態にしていいのだろうか?
みんなやっている。
世のため人のため。
苦労してこそのカネ。
なんて、きれいな言葉の裏にはどす黒いことがされていないだろうか?
ブラックバイトなんかは動画でブリの切り身をゴミ箱に捨てて、また拾い調理し始める。または、コンビニ冷蔵庫に裸で入る。
それに対して、倫理がなっていないとか、低賃金で可哀想だとか、意見が飛び出すが…
正直、もうどこから手をつけていいのか分からないくらい、不文律なんか崩壊しているのだ。
著者自身、ハーミットのようだが、本書を読んだ私もまぁ…世の中に対しては厭世的だよなあ。
(生活の)手段がないから働いているようなもので。
幽霊文章(過労編)
「死ぬほど働くと死にます」
コレ、名言。
メンタル某氏のありがたいお言葉なんだけど、まぁ、ホントだろうな。
自死にせよ、肉体の自殺願望だとしたら、逃れるとこは死だろう(≒心身の欲望)。
ハラスメントも犯罪と置き換えた方がいいと私は考えている。
やるヤツはそれが暴力でないように装って巧妙にやってくる。
考えてみれば、古文書なんかで見られる・・・ショックが強すぎて吐血して死んだ、なんてのは大昔あったんだろうに、それを作り話にしているほうが滑稽で。
古代大陸で豚人間、造って皇太子が見たら神経衰弱を起こした(ほぼ、廃人)って話があるくらいだから、ショックが与える心身の関係性を、もっとメンタル系で研究すればいいのだ。
こういう、前例…昔話や伝説も遠因的というか、可能性やメタファーとして、現代に活きてくるんだから、この手の歴史研究は大事。
人間、存在がどんなものか?ってのを説いてくれるんだから、こういうの学校でやった方がいいんじゃないの?と思いさえする。
内科ですら代謝はもちろん、内分泌やホルモンの神経向上性のアンバランスから、目に見える身体病のアプローチしてるんだから、そこには神経症状・・・もっといえば、精神的な心身相関な話になってくる。
病いは心身症的だ。
身体が弱ってくるのは、神経ホルモンのアンバランス・・・生体と外部環境とのアンバランスともいえる。
早い話、イヤならそこに居なきゃいいんだ。
血圧が問題になる。
高いと何かと問題因子が孕みだし、低いと気圧症で鬱々する。
高血圧なら、外部環境と生体がようやくバランスをとってそうなっているのだ。
環境と生体を込みで観る。
低血圧ならそれはそれで、気圧に対して生体がバランスをとった結果ともいえる。
病的状態は見苦しくてもなんらかのバランスが全体でとれてしまっているから、不思議だ。
メンタルでは自殺なんかは立派な病いのひとつに含まれるようだ。
悩みはもちろん、鬱、マニー(誇大妄想)、病苦もあろう。
Dr.養老はヌポンでは殺人の代わりに自殺が多いという。
人が逝く大した理由だ。
変な話、身体が死にたがっているというのはあると思う。
「もう、止めて!」の延長線上だ。
身体から脳へ自殺物質でも出されているんじゃないか?と非科学的な妄想が逞しくなる。
どちらにせよ、追い詰められた現実から如何に逃れられるか?というメッセージだ。
いまは、残酷だから、働かなきゃ喰えねえ!な考えが通っているから・・・牧場の家畜(社畜)のように、囲いから出さない仕組みゆえ、その柵も鉄条網と化しているに違いない。
しかし、(人間)救う手立てが分からなくなった。
会社なんてやっていたら、ヘタに関わればあとで告げ口されたり、立場が悪くなったり、将来の雰囲気考えるから、どうしても打算的になる。
人間、腐ってくる。
手立てのしようもないから、自殺なんか減りゃしない。
むしろ、あるのが当然な風になってしまう。
だから、「弱いヤツが死んだ(※)」なんてのが言えてしまうのだ。
(※)某心理学者の対談本より。
わからんことがいっぱい(疫病、発達障害)
(´-ω-)ほう…
疫病あとに後遺症があるようだ。
脱毛、嗅覚異常、倦怠感、PTSD様神経症状など、今後、様子を見ないと分からないとこがあるらしい。
早速、ヌポンの悪文化も始まっているようで「証拠を出せ!」とか「怠けだ!」とかでクビにされた例もあるという。
(´・ω・`)「軍隊にでも居んじゃねえの?」
叱責を常として業務に没頭させる。
ひでぇ話だ。
そのうち「精神注入棒」が出てきそうだ。
全く、ありがてぇ。
私事として言えば、疫病が始まったあとには、人間がピリピリした感じがあった。
幅寄せ走行や自爆誘発運転、県外ナンバーへ石をぶつけるなどは、不安は元より日頃の鬱憤を晴らす絶好のチャンスと言わんばかりに人間が凶悪化した。
車間距離なし運転手などというサーカスを見紛う下品な運転がドラレコに残るんだから、止めればいいのだ。
今は防犯カメラばかりある監視社会だから。
疑わしきは罰せずではなく、雰囲気(不穏分子)悪ければ即通報なんだから、排除という悪文化がここにも見られる。
なお、公安よりもライトな警備会社に連絡するのは敷居が低いらしい。
警備会社は儲けられる。
まぁ、不安や危機感などが代償行為として、他所に当たるというのはありうる話で。
当たられたヤツは気の毒だが、当たったヤツの気持ちを重んじられるという本末転倒な事態が起こりやすい。
この時点で倫理崩壊してる。
両方大事にしろ、だ。
片方を大事にし、もう片方を粗雑にすることを禊にしてきたのも悪文化といえよう。
2番目。
発達障害について。
正直、発達障害はブーム以上にそれ自体がツールになってると感じる。
レッテルを貼ることで腑に落ちるというか。
落としてどうする?
あとは人任せだろう。
その道のプロから、如何わしいヤツまでやってくるのだから、ビジネスとしても使える可能性を秘めている。
真性の発達障害は居るか?
居るだろう。
けど、居たとしてもマイノリティの道に行って下さいなコースを辿りやすい。
これは、都内を歩く綺麗な・・・というか、健常人と変わらない格好で漸く参加できるようなものだ。
ヌポンではこのパターンが多い。
高学歴なんかも切符であろう。
切符を手にすることである種の…それこそ切符に載っている場所へ通ることができる。
手に入れても使わなかったり、上手く使えなかったりすれば、あまり意味が無い。
親御さんが、決められることで生きやすくなるならそれで良いじゃないか?という声を聞いたことがある。
いいんじゃないかぁ?( ´Д`)y━・~
それが、成功かもしれないし、失敗しそうなら止めればいい話だ。
ただ、その意見がなんだか世の中の声を取り入れたように聞こえるのは、私の耳が遠くなったからかもしれない。
世の中の代表者。
あと、できないヤツなんてのは内容不問で引っ括めて二級市民扱いされやすいのがヌポンなのよ。
できてない、常識を知らない、世の中が分かってないなどの視線が突き刺さる。
要は「分かってないからこうなるんだろう!」な訳。
まぁ、わからん。
勝算があるのならやればいいのだろうけど、レッテル貼りして世の中を安心させるキャンペーンだったら、私は引くな。
でも、安心させて私に安定が貰えるなら考えてもいいかな。
でも、「富裕層向け○○」なんてのを目にする機会が正直増えた。
一昔前なら勝ち組で済んでいたが「層向け」とあるから、確定的かつ固定化してきたのだろう。
もっと前なら、ナマで富裕層なんて口に出さなかったけど。
読まねばわからん
正直、ネットより本の方が内容がしっかりしてると思う。
ネットのつまみ食いは「正しさ」しかなくて、あたかも操縦の効かない自動車のようだ。
正しさに連れていかれてしまう。
正しさは、それ自体は鋭いが、小回りの効かなさがかえって見る者の余裕を失わせている。
情報が多ければ、あとは好きなことができるというのは、よほど器用なヤツなんだろう。
あと、若さがあるとか。
情報をたくさん得たとしても一日が24時間は変わらないし、人間身一つであって誰かにやらせるわけにもいかん。
悪くいえば、旦那にやらせたり、嫁にやらせたり、子供にやらせたり、とそういったことがあるのではないか?
いま、早大出の人の本を読んでいる。
我が脳と違い書いてることが違う。
スケールの広さも大海原並だ。
こう…内容が自由なのよね。
自由に、しがらみ、こだわり、ルールなしに自由に、道理を持って書けるところがいい。
真似できない。
今日のメシ。
けずりかまぼこをふんだんに使ったミーゴレンだ。
ほうれん草はともかく、モヤシは貧乏人には必須なアイテムだ。
(´-ω-)うめぇ
ミーゴレンは海鮮、何でも合うね。
この前はカニカマだったけど、エビでもじゃこでもいけそうだ。
ネチネチ五輪
為政者は発言に気をつけるのは当たり前にだろう。
目標に向かい好ましいことをいうのが商売だ。
女性についてあの発言で揺れた。
それにしても、世界を揺るがす祭典、五輪ピックをやりたくて仕方ないのだろうけど、疫病はまだ治まらないし祭りをやるより立て直し図った方がいいんじゃないの?と思うんだけど、意外とヤレヤレなヤツがいるのよ。
果たして疫病じたい、収まってきてるのかどうかも疑わしい。
検査方式を変えたら数が変動するに決まっている。
ワクチンやって収まっても五輪は目指したいのだろうから、カネを集中させたいのだ。
マネー(¥▽¥)
9%Alcなどは飲む福祉など言われる。
資本国家のあの国でさえ、寿命が60超えだというのだから、アルコール度数が高いと将来内臓をやられることは避けられない。
カネになるから、量販店はともかくドラッグストア・・・いや、大手スーパーブランドでも既にやっている。
アルコール大国。
アルコールで儲けられるんだから、麻の解禁が目指せないのも頷ける。
あと、タバコもそうだ。
ただ、ワクチンはとっととやれ!を私は支持している。
リスクは重症化と死者、医療崩壊である。
飲む福祉で意識飛ばして現実誤魔化してるなら、それこそ二次災害だろう。
あっ、疫病以前にハラスメントとかもね。
大人も子供もハラスメント(≒虐待)は指導!という勇ましく、ありがたい言葉に変換される。
20年前問題となった援交なんかは、悪くいえば児童売春だ。
言葉の綾に…キレイな言葉に装飾されて世に出回る。
師匠を敬愛する非堅気なあの方も言う。
人間、悪いとこは1つも2つも(いや、もっと)ある。悪くいう…小言をいうのは人を悪く言いたいからだ!と名言を吐かれる((((;゜Д゜)))
・・・その通りだろう。
まぁ、これほどまでに悪者探しや粗探し、姑の小言みたいな叱責が流行るのは、時代の変換時期でもあろう、下降線の。
悪くいうのは悪いと分かっちゃいるけど、止められないのはADDICTIONだ。
マスクしてりゃ表情見えないから、虐待は増えると専門家は言うがそうでもなかろう。
人間、慣れる動物だ。
これで許されるなら、次も大丈夫だろうと図に乗ってくる。
甘えがある。
表情から可哀想と思えるならまだ可愛い。
それが、イカれて見境なくビシバシやりだしたらりっぱな嗜癖だろう。
「これは指導です」と堂々と言ってくる。
省みが必要だよなぁ(´・_・`)