だから、隠居したい(デカダンス再入門②)
「はたらかないで、たらふく食べたい」(栗原康著)
(´ ゚ω゚`)「まぁ、本能的な表題だこと」
躾(しつけ)じたい疑問視する心理の先生もいる。
社会性につながるからというが、それは親の好みだったりする。
・・・というか、その社会もあるのかどうか怪しいもので、最近では社畜どころか、都合のいい人間を作り出す、イエスマン製造所なんてのもある。
どれだけ、自分を壊しているんだか?
行き過ぎた○○が自身を損なうように、やり方が過ぎればいくら人造の良いとされる何かしらもまた、自身を害することがある。
上級国民や富裕層などの言葉はスタンダードになりつつある。
そるが、当たり前になっていく。
彼らに抑制はあるか?
いや、出来るからやるのであり、何が悪い?というものだろう。
ツイッタなどは無法地帯になっている。
一般人でさえdisられるシーンが増えた。
私がSNSにのめり込まないのは、それに耐えられないことがある。
プロレスラーでさえ自死に追い込んだ。
最近では、要は虐待されるより、する側に回ればいいんでしょ?なんていうケースもある。
未成年だろうが、たまに…いや結構、成人も「分からなければやる」のがいるから、救いようがない。
プロレスラーが自殺したというが、弱いのではない。被曝の量が多すぎたのだ。
言葉というのは武器に代わる凶器になる。
通常の線、とは一億総中流が生きていた時代の言葉であり、アベレージなラインだった。
しかし、いまは「勝ち組」という言葉を通り越し、ラインじたいが遥か彼方の雲の上の存在である。
栗原氏は過去の支配時代よりタチが悪いというがその通りだ。
システムが出来上がっている感じがある。
○すれば(ならば)、✕すればいい式のプログラムができてしまっている。
ゆえに、どこにもいけないし、どこにもいかせない。
学校じたい問題があれば警備員がスマートに介入する。
なお、家庭内暴力なども警備会社がサービスしており、深刻なら医療へ搬送することも可能だ。
ALSの深刻さを最近観た。
命の選別はあってはならないというが、最後は肛門でYES、NOの返事をするのだというからやりきれない。
病というのは屈辱との戦いにも見えなく無い。
酸素、栄養さえあれば、生きれるが周りが大変でもある。
どうするか?
ツイッタを撤退した某医師はポンニチでは自死尊重は止めた方がいいという。
悪用される可能性が高いからだという。
悪用は綺麗な言葉で語られる。
経費がかからないはその通りだが、不都合な人物を排除するということで悪用…乱用されることがある。
森氏もまた、誘導によりあたかも本人が望んだようにさせられるだろうということを、ALSではなく別の問題で語っていた。
某医師はまず、70年前の対戦が過ちだとして倫理がしっかりしないと自死尊重は設定しない方がいいという。
…まぁ、ムリだろうね┐(´д`)┌
乞食に乱暴した武勇伝や、スクールカースト上位でヤンチャしてれば、ハクが付くくらいの意識でいれば、「勢いあれば嵐の後の祭りは仕方ない」などとされるんだから、そこで出た被害はあって当然になるんだから。
いや、最近では無かったことにさせられるか!