やることないとロクなことない③

しかし。フツーをやるのが並な生活なのだ。

 

分裂症などは日常にいちいち疑問を感じるという(ことがある)。

「合わせる」「並にのる」などは、何だかんだいっても、フツーの生活をし、家族を作り、子を持つ。

 

いちいち、考えていたんでは並にのるなどは難しかろう。

「そういうものだから」と世間ではよく使う。

慣習や効率に合わせておれば間違いはない。

 

私なども過去、かなりフツーに合わせていれば、別の…それも今よりマトモな状況になったのではないか?とも、そんな気がする。

知人からゴミみたいなこと書いている、と言われる。

ゴミみたいなことを書いて…考えているから、ロクなことしかしない。

 

世間では冗談を嫌う。

最近は更にキツくなったようだ。

世間のいう冗談というのは、〇〇がどうしたこうしたという絡みがなければ笑うとこでは無いとされる。

バカ話が単体でやるのがご法度なように。

 

世間話は宗教だと河合何某は言った。

絡みの延長から会話を弾ませないといけない。

お約束は他所のことはあまり話さない、というのが井の中の蛙だ。

私から見たら、そのような世界の方が珍妙に見える。

変わっているのは私の方か?

 

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JPOPは終わっていると、某氏はいう。

なぜ、終わりか?

売れるようなものを忖度するからだ。

タテマエでは良いとか、華やかとか言わないといけない。

KPOPがJPOPを抜いたというが、認められてきたのか。

すると、邦人のある方面は、世界はJPOPを分からなくなったと言い出す。

井の中の蛙である。

 

要は売れそうなもの…コピー商品の連続ではないか?

宣伝屋もいる事だし、良さそうなことを言い続けないといけない。

 

私は思うのだけど、〇〇Japanなどとやり出すと、ロクなことない。

検索も〇〇Japanと来れば、フィルタかけられ世界からのナマの情報など入りやしない。

国内で受けそうなことを引っかかるようにしたら、新鮮味はなくなる。