何に何を求めるか?
大抵は国に期待してもどうしようもない、と言ったとこか?
Go toなんて狂気の沙汰なはずだが、それでも指定業者を通さないと割引れない、というんだから、まぁ、懇ろな歓迎が疑われてもおかしくない。
利権絡みの件については、どこも同じようなものだろう。
いわば、本当の仕事をしていない。
クリエイティブなことができるのは、ほんの僅かな人間に限られる。
意味の無いことをさせるのが権力者だと、U師匠はいう。
なら、世間ではそんなのがまみれているということか?
果たして、これは妥当なことか?と問わず、命令や、わけのわからんルールなどにより、させられている仕事などは、体育会系のノリでできているようなものだ。
人力以外の合理化できることをせず、いつまでも旧来のやり方を強要させるのは、権力というより、システム自体が硬直しており、どうしようもない状態だといえる。
もちろん、権力はルールを作る側にある。
ギリ〇ャが以前1/4が官吏となり、財政破綻したという。
管理者や掟の番人などは少数でいい。
いや、もっといえば内的なルールを持つことで官吏や番人など不要になる。
官僚気質というか、トップダウン方式が硬直するのは、機転が利かないためだ。
しかも、上ならまだしもそのような手法が、いまでは巷の隅々まで行ってしまっているように感じられる。
小うるさい姑のように、ありとあらゆる決まり事をいうのは余計に物事や人間を疲弊させる。
出来たものには神経を使わなくてはならないからだ。
人心掌握は理想であろう。
大抵なされているのは、軽重問わずコントロールだからだ。
言うことを聞かせるためにはルールさえ作ってしまえばいい。
理由も説明もいうコストやエネルギーが削減はれる。