「働かざる者食うべからず」から考える《更新》
これはパウロの言葉である。
奴隷を見て嘆いた言葉なのだろう。
全体主義(ファッショ)の利点は1人に害が来ないことである。
無個性で全体に顔を埋もれさせとれば、ダメージは緩和される。
子供のイジメなどを見ればわかりやすい。
何か不都合があれば、みんなで何かをアテにしておけば傷みは少ないし、叱責するほうも仕方ねぇか?になる。
しかし、1人がバカをして目立ったらみんなに叩かれる。
この時の攻撃量は集団リンチに近い。
(本来なら)理性冷静により出来事を処理をすればいいものの、人間感情の生き物なのだろう「ドカッ」と爆発させなければ気が済まない。
これを浴びた時の被曝量を考えない者は少なくない。
むしろ、正しいことをしているという考えが脳を充満している。
いまも将来も。
川崎のヘイトが許されているのは感情の爆発口であろう。
ホントは政(まつりごと)などのインフラが原因なんだろうが奴(やっこ)さんら、勤め先の上司ですらウエと繋がっていたら、容易に爆発できるわけない。
足並み揃える、というのは保身だ。
自らを隷属させるというのは、本能的に危なさを感じているに違いない。
ゆえに、その場でのコミニケーションも「井の中の蛙」みたいになり、内容も新奇さもなくなり、面白くなくなる。
それをムリに面白がったり、誰かを持ち上げたりするから、ストレスになる。
その場では言えないから、別のとこで発散する。
児童虐待になる。
大学卒はすぐ殴るという。
鶴見某の言葉である。
理想と現実のギャップなのだろう。
目の前のどうしようもないことに心身エネルギーを注入投して、叶わないのだからキレるのは当然である。
私の印象では若い管理職に目立つ。
むしろ、彼らに必要なのは調整力だろう。
できないなら、どうする?
どうすれば流れる(スムーズになる)?
むしろ、仕方ないことの方が多い。
使うのも生き物だ。機械になれと言ってもムリだ。
自分を入れるから腹立つ。
理想はウチでやっとけ。
まぁ、「自分が変われば世界が変わる」など、どこかのキャッチコピーが10年前に流行ったが、それを純心に信じたが叶わなかったというヤツが、いまは不貞腐れている嫌いがある。
当たり前である。
経験が必ずしも役立つとは限らない。
「現在進行形」というのは生き物のようであり、猫のように気まぐれである。
むしろ、役立つはずの自分を前に出そうとして、役立たないからキレる。
神経症(強迫症)的な将来への期待が裏切られると、やはり人間はへそを曲げるらしい。
いまの心身は未来の心身とは違うし、味の好みも歳を追うごとに変わるくらいに思っておけばよろしい。
個人が経験がするであろう状況への折り合いである。
その点、いまの中年が薬物(主にライトドラッグ)やAlc9%のチューハイに走るのもわからなくない。
楽しさを夢幻に求め、現実には辛さしかないのが分かったからである。
肝硬変や腎障害で早死するよ。
じゃあ、お前は正しいのか?と言われればそうは思わない。
「確からしさ」を目指して生きているだけであり、過去の教訓や常識が未来に使えなくなるくらいは、自戒しているところである。
ただ、教訓はないよりあった方がいい。いつか使えるかもわからん。
そーいうのは複雑(≒沢山)に取っておけばいい。