善悪・常識などは変わる

ある日のこと…

 

某ファミリー向けスポーツショップに、モンモン(※)満載の人がポスターになっていた。

もちろん、ファッショナブルなものだ。

(※)タトゥー

 

いまは、疫病でなんとも言えないが、夏はタトゥーをするのが当たり前になってきた。

世の中で善悪を決めると「あれは良くない」などと、すぐ批判の対象になる。

 

その道の人の結束や象徴みたいなイメージがあったが、どうやら善悪の判断は個人個人に委ねられてきている感じがある。

 

まえに、Grass(麻)について書いた。

タイでは医療用が認可され、幸せ感(THC)を味わってもらおうと、病院食堂でキャンペーンされているのだとか。

 

デカダンス下では何でもありだ。

戦後は疲れ知らずにヒロポンが流行った。

ヒッピームーブメントではドラッグが蔓延した。

むかし、竹下通りでシロシビンが扱われた。

 

松本何某は、抜けられる環境を用意すれば依存性はないという。

ハードドラッグ(ケシ)にしても、耐性ができる前(?)に好ましい嗜癖に移せば問題ないということだろう。

 

水谷某はドラッグは若者の問題だというが、大人にも広まっていると私は思う。

若い世代が、いま年を取れば中高年になるからだ。

しかし、扱いは個人に委ねられてきている。

たとえ、合法になろうが。

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農学・教育学者のS氏にしても、不良が居なくなったという。

不良とはロクでもないことをしないヤツというが、いまはロクでもない成分が一般にも分配された…と考えるのはどうか。

だから、(ロクなことも)個人に委ねられてきている。

 

不良とは抑圧の抗いである、とS氏曰く。

あるいは、若さゆえの柔軟さが状況変化にサッサと対応できるのかもしれない。

逆にいえば、不良などやっている暇はないというか。

 

(私も)人口に膾炙することはすぐ飽きが来る。

ネットなどはヲタク向けのものでなく、いまは陽キャの生活ツールになくてはならないものである。

そんなに、LINEやってどーすんの?と私は思う。

 

LINEのある会社などあるらしい。

頻繁にコミニケーションされること予想大だ。

経験上、それに乗れなかったことがあり、顰蹙を買ったことがある。

あの、電気が走るような会話のやり取りについていけない。

 

私は陰キャで非生活ツールや情報を好む者だ。