弱さのための技術
(´∀` )「そりぁ、館長やられるアンタが悪い」
どこの館長か伏せとくが名言である。
鍛えておいてガールズバーでやられる。
武術家において、何をどこで、ナニされるか?は押さえておかないと意味は無い。
肥田先生は「武蔵は切らんでもいい奴を切った」という。
自分の力量を知るのも大事だ。
肥田先生の言葉に従えば、勝てる相手を選んでいたのだろう武蔵は。
逆に鍛えておいても、相手が悪ければ負けるし殺られる。
それは今も昔も代わらない。
恵まれ心身を持つ者が目の前に現れたら、引くのも武である。
適うわけがないと観れば、避けるのがいい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
しかし、たとえ鍛えても弱いのは弱い。
私のように心身も恵まれず、口も身体もケンカが弱ければ、世の隙間を縫うように生きる他ない。
堅気の世界でも、その道の顔負けなことをしてるヤツらになんか掃いて捨てるほどいる。
粗く言えば街中に居る犯罪者である。
どこぞのドクターが言ってたが「国民は弱者に冷淡で無関心だ」と。
まぁ、これは分からなくない。
私の肌感覚でも、弱者は見えにくくなったし、感じられなくなった。
より、弱さを隠しながら生きているのだろう。
だから「弱いのがいけない」という。
長い物に巻かれろは、この文脈から生まれた言葉だろう。
タテマエでは福祉はあるが、言語、会話や生活環は「できている人」に合わせられているので、弱さはタブーとされる。
弱さはメーワクはこの文脈から生まれた言葉だろう。