内勤もラクじゃないね(現代疫病説)
今日は珍しく新宿行きはカットされた。
まさか、疫病対策ではあるまい。
むしろ、疫病の疑い出れば病院でなく保健所行ってくれだの、陰性証明持ってこいだの、うるさくなる。
特に陰性証明なんかは不安分子が完璧に無くなるまで、出勤すんな!ってこだから、こりゃみんな微熱あっても隠すわな。
満員電車なんか、咳したり、鼻水啜ったりは御法度だ。
むかし、サリン事件で被害を過小評価するリーマンが居たそうだ。
会社で使いものにならないとされたら、居られないから、という理由らしい。
村上春樹のアンダーグラウンドに詳しく書いてあるが、なかに精神科医が芙蓉国(※)特有の「穢れ」思想があると言っていた。
(※)ニッポソ
酷い話だ。
あの事件は95に起きたのだけど、不幸が弱者…あるいは、弱った者に集中してしまう構造は30年近く経っているのに克服できていない。
「お荷物」になれば排除される過酷な運命だ。
いまのデジャヴュな感じはリターンオウムを見ているようだ。
まぁ、早い話が「弱くなったフリして、図に乗る・つけあがる・サボる」という考えが、弱くなれない構造にあるんだろうな。
弱さを見せられない(´д`)
神経症的な勤労への執着は遊びのセンスを磨けなくなる。
ゆえに、勤労を離れて「遊び(≒余暇)」に向かうと、磨きが粗雑で下品になる。快楽を追求する。
粗雑というより、遊びの感性が育っていないというか。
また、大衆文化のスポーツやファッションにいくのは別にいいけど、マジョリティで横並びな感じもしなくはない(これは、私の一意見・印象)。
疫病じたい、感染者は凄いが死者は少ないという。
しかし、感染者により他の患者の治療が後回しされたり、ベットがないとか、スタッフが足りないとか出てるんだから、感染ルートを抑えるのは必要だろう。
また、感染者を放っておくわけにもいくまい。
死亡数はまだ少ないが、ポジ菌持ちで誰かに伝染し重症にさせることもある。
「死なないからいいじゃないか!」は健常者の厚かましさがある。