休日格差?
道は下り坂なのは間違いない。
「下り坂」というよりボンビーへの道。
老人たちは若い人を山野に連れて引っ越せ!というが、過去回帰な考え・・・発言者が元シティーボーイで、もう訳が分からん。
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貴重な休日は身の回りの雑事に費やされた。
(´・ω・`)「これじゃ、いつもと変わらねぇな?」
土曜でさえ研修名目のペナルティを科せられているんだから、ホントにここは法治国家か?と疑いたくなる。
たとえて言うなら、出来る子は算数の課題をサッサと片付けてお祭り・お神輿を見に行けるが私のように不器用かつ、チト足りないヤツは夕方まで、課題をやり直しするハメになる・・・そんな心境。
そのうち、3の字が汚いとか、消しゴムで消した部分が汚くなり過ぎて分数の所何書いているか分からない、などネチネチとクレームがくる。
こんな不幸なことはない。
いま、夕方まで・・・わざと祭り終わるまで課題させるなんて、ハラスメントで訴えられるぜ?
この世は平等ではないし、時に巧妙かつ執拗に「大人」も嫌がらせをするもんだ!というのが、当時の最大の教訓だ。
祭りあるの分かっていて、ダメなヤツを居残りさせる。
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まぁ、土曜がいつまでも晴れないというのは、ダメなヤツを作り出して、フツーの人間が安定した生活ができるんだ!という妄想に駆られなくもない。
いまは仕事(勉強)ができて当たり前な時代なのよ。
成績で差異を作るには引っ掛け問題を作るように、仕事の手順でさえネチネチとやり方がうるさくなり、1つ間違えば最初から!なんて強迫症みたいなやり方になる。
これは健全でない。
ああ、中級国民かつファミリー連中はGo to小馬鹿にしながら、どっか行ったんだろうな・・・。
そういや、非正規の女性に付き合う人がいないという記事を読んだ。
帰って寝るだけの生活は男なみに日常のサイズをダウンさせるのか?
「それが当たり前」になれば・・・それに、低賃金なら帰りになんか特殊なモノ買って励みになる・・・なんてのができないもんなぁ。
私なんぞ新しい作業着の代えをどれにしようか?なんてやってるし、現実から離れられない生活をしてるから「離れられる」のはお迎えのときになっちまう。
考えてみりゃ、中級との人付き合いもできないのは、高いとこ入れないのもあるし、向こうもボンビーを仲間に入れると、勘定がセコくなるから次第に離れていくし、悪循環だよなぁ。
言い方が良くないけど下流・・・下級?連中はサッサと帰って、次の日体力温存に励むし、そうなると野外飲み会しかないだろうな、彼ら来ないだろうけどさ。
それに寒いし。
疫病でうるさいし。
ドラッグについての考え方
巷では結構、Grass(麻)を解禁させろな感じになっている。
ただの草じゃねぇか?みたいに。
Dr,松本曰く、Grass自体よく研究されていないらしく、鎮痛、末期症状への効果などは聞くが、その他はハッキリしないらしい。
インドでは葉っぱをジューサーで砕いてラッシーにして飲むんだから、すげぇ国だ。
楽しみ方が違う。
しかし、解禁されたあとの事後効果(事後研究)はなされてもいいはずで、欧米でそれやったところの、その後もよく見聞きした方がよろしい。
塩酸ケタミンではないが、フラッシュバック様症状が恐怖になり、暴れるなんてあれば、それは考えた方がいい。
まぁDr.松本はGrassの効果は人により様々というが、脳内の作用場所の組み合わせが沢山あるのだろう。
ある人は酔い、ある人は恍惚になり、ある人は神を見る。
薬物感受性ではないが、薬が効きやすい効きにくいもあり、量は人により違う。
少量で幻覚を見ることもあれば、見ないこともあろう。
シロシビン(Mマッシュルーム)なども、人間らしさを眠らせ間脳(動物脳)を目覚めさせるが、南米では結構喰わせるよね。
昔から、シロシビンが効いている中で幻覚の絵を描いた作品があるけど、導き手が居てちゃんとしてないと、パニック起こすから慣れたシャーマンがいないとまずいのだ。
聖(≒スピリチュアル)と麻薬は親和性がある。
それにしても、Row(法)というのも暫定的だ。
ヒッピーやドラッグが問題になった時に制定されたんだろうけど、あくまで目安・・・現実的に問題になれば法で縛るし、問題なければ縛らない。
欧米で解禁になって・・・コデイン所持などは知らんが、自分のことは自分でできるから、という考えから「解禁」に結びついたのかもしれない。
逆にいえば、よく使い方がわからない、手にあまり火傷をするような代物、失敗しやすいモノなら、やはり規制をかけなければいけないのだろう。
これは、どこはか克服物語にも見えなくない。
シャーロック・ホームズはコデインをやっていた、とある。
良心的な考えからしたら、弱者・・・道を間違えやすい者にとっての規制ならわからなくない。
ただ、上記のように「自分のことは自分でできるから」というのが居る場合、より自由に不自由ない余裕ある人間はツールとしてのドラッグは・・・彼らにとって人生の1つのツールにしたいのだろう。
分からなくない。
デパスなどの向精神薬は日常の調整剤として、女性の方が上手く取り入れている面がある。
遊びではなく、具合が悪ければ身体の手入れをする、という感じでハルシオンを服用する。
某精神科医などは、次の日大事な用件がある場合、ちゃんと寝ておくために眠剤を使うと言うくらいだから。
要は使い方なのだ。
ドラッグは一体感は元より、共有や儀式的なものがあると言われているが、シンナーやる中学生が、それも知らずにやる、というのは「悪さ」じたいも仲間意識があるのだろう。
かなり、根源的なものがある気がする。
観音さまに抱かれるとか、仲間みんなで宙に浮く体験をしたとか、連帯を強める要素があるのだろう。
これは仲間全員の側頭葉が同時に(≒側頭葉発作)に作用して、空中浮遊を皆がしたんだろうけどさ。
同じ身体・・・骨やタンパクなどの組成をを持つ人間だ、という確認しあう事なんでしょう。宗教儀式が使う古典的なトリックでもある。
Go to 何某(なにがし)
疫病が増えだした。
第2波や3波・・・n波と言われているが、その直接的な原因は何じゃろか?
最近はウイルスも凶悪化しており、嗅覚障害から始まり、脳炎、記憶障害などの欧州型(変異型)があると言われている。
私など今でさえ半分は記憶障害みたいなもんだから、もし疫病なんかにやられたら、100%記憶障害(≒痴呆)になり再起不能になるだろう。
そうなれば、しめたもの。
闇の医者によって、この世から抹殺されるかもしれない。
医療費・食品、その他諸々の費用が浮く。
しかし、Go toにしても余裕がないといけない。
カネだけでなくヒマもなければ出来ないイベントだ。
私はいくら働いても余裕ができないからいい。
観光バスなんかには老人達が参加したそうな。
ポジ菌(ポジ株?)流通させるんなら、交通を盛んにすればいい。
観光を救うイベントは寒い季節と相まって疫病の増加になったと睨んでいいだろう(妄想)。
1/4は老人というんだから医療費についてモゴモゴ…なことを狙った?と更に妄想を逞しくしてしまう。
👨👩👧👧「大好きなおじいちゃん・おばあちゃん」どころではない。
老若男女、いつ危険なロシ〇ンルーレットに参加させられるか分かったーもんじゃない。
「〇〇ホイホイ」という言葉があるんだか、無いんだか分からないが「値引き」という甘い誘惑チックな誘いが命さえ縮めてしまうんだから、日頃から禁欲な生き方は丁度良いくらいだ。
むしろ、慎重である方が越したことはない。
私などは元から安全牌なので…
値引きされた金額でも参加できない組に入る。
だから、貧乏人は嫌われる。
観光業に直接、援助や無利子で渡せば疫病は広まりにくい。
「あなたに言うことではない」なんて言う人がトップなんだから、疫病(≒健康・安全)より経済(※)をとったのだ。
パン〇ーキおじさん🍯
いや…もう、パン〇ーキおじいさんでないの?
(※)無闇に補助を出せば、つけあがって働かなくなるヤツらが出てくるだろう、という考えもあるだろう(妄想)
なお、脳炎は風邪でもインフルでもなりうる。
これが将来、数が多くなるかどうかまではわからん。
記憶障害も困るが麻痺とか重篤な症状が別に現れだして放っておけば、薬害エイズや水俣などに底流する問題に繋がる。
靖〇神社に参詣して疫病除けの祈願するより、頭のいい人集めて現実どうこうした方がよろしい。
なんせ、テレワークなんて採用してないんだから、もっと現場出なくてもいい措置を考えさせれば良いのだ。
・・・あっ、私も現場出ないとカネにならない人間か!
本来は自然系?
(´Д`)ハァ…
長い1週間が終わった。
短い休日で、果たして体力回復出来るかしら?
昼間、お使いで寄ったとこ。
「お使い」なんて1年にあるかないかくらいだ。
余裕があった頃は、お使いなんて口実でみんなフラフラしてたもんなぁ。
いま、それやりすぎるとうるさい・・・どころか、ポジションが危うくなる。
まぁ、上の人間がよく「お使い」名目でフラフラしてるけどね。
今も(´・_・`)
「せんどば」は船競(※)の前にある小市場だ。
水槽には運が良ければフグやウツボが泳いでる時がある。
タッチプールみたいな「生簀」にはマゴイが活けで売られる。
珍しいモノがあるので時々チェックするとよろしい。
(※)船橋競馬場
あの…騎手だって相当な運動神経の持ち主だぜ?
小柄であの騎乗位でバランスとるの相当なもんよ。
見る方は掛金損したくなくて必死かもしれんが、乗っかってる本人らも事前トレーニングは欠かさないだろう。
どこかの競馬場のモツ煮が美味いと聞くけど🐎
忘れた(´Д`)
なお、ヴゥログ当初のコンセプトは生き物系を目指していたんだけど、最近めっさ忙しいのよ。
釣りや海はおろか、山にも里にも行けない。
おまけに、記事にも愚痴っぽくなってきた。
これではまた「オマエ、またゴミみたなもん書いてんな?」なんて嫌味言われそうだ。
まぁ、幸い季節は晩秋…冬になるから、野外には出歩かなくていい、みたいな理屈を言えるからいい。
「生き物なんて冬に出歩かないよ」ってな。
また、怠け癖がつきそうだけど忙しい上、低〇金だからやる気が・・・何でもない。
メーカーの人ごめんなさいと言いたいけど、言う前に睨まれて左遷だな、こりゃ。
寒い季節だ(´・ω・`)
考えることの意味
「本など時間の無駄だから」
は、活字中毒の私にとっては迷言であり、侮辱であり、差別であり、蔑視目線であり、陰キャであり、クソみそである。
しかも、上から目線なやり方が何とも決まっている。
そういうヤツがたいてい何やっているか?といえば、株価チェックとゲームと風俗だろう(オマケにドラッグが付くかもしれない)。
たぶん、要領のいいヤツなんだと思う。
啓発本に誤魔化されず、自分の欲の道を知っている。
現実感覚に長けている。
どういう時にどういうことをしすれば良いかツボを押さえている。
あらゆる…明るい道や暗い道を使い、どういう時にどうなるかも分かっている。
ある程度、他責もでき、いざとなればトンズラかまして保身もはかる天賦の才の持ち主ともいえる。
(´・ω・`)「あんまり相手にしたくないし、敵に回したくないヤツだ」
結論はそれだけ。
さて、考えることについて。
哲学科が喰えないというが、高等教育まで行かない私が言うのもなんだけど、学問などしていてはやはり喰えない。
仕事などしていれば学問など・・・内容が薄くなる。
万券が渋尺栄一だから、しかたないんだけどさ。
では「考えること(≒哲学)」など無意味か?といえば・・・やればいいと思うよ。
無料だから。
もし、考えることが有料だったら人類史で哲学など出なかっただろう。
ただ、それやれば陰キャまっしぐらで、ドン引きされるから、あくまでも個人的に。
究極、言えば人間逝くんだから、とりあえずアレコレぶつかっておいて「生きる意味」みたいなのの確からに・・・嘘でも虚でもいいから考えて居た方がよろしい。
脳などは燃費の悪い臓器なんだけど、体動かしたり、カネ障っていたりするのが好きな人もいれば、じっと考えているのが好きな人がいるようだから。
ただ、陽キャ陰キャは置き、ニュートラルベースで何となく世の中と付き合っていた方が、陰キャゆえのドン引きは防げるだろう。
『オマケ』
若い人が優しすぎて「ナチス総帥の気持ちがわかる」という意見がある。
総帥の微笑ましい家族動画が白黒で確かにある。
敗戦の気配が近づくと家族は自死したというが、戦犯で拷問喰らったり、家族が袋叩きされる可能性があれば、賢明な決断だろう。
やったことが大きすぎた。
・・・誰だったか?ボケて名前が出ないのだけど・・・アイヒマンだっけ?
仕事(戦争)で殺人しに行き、家では良きパパだったという。
しかも「あれは命令だったから」といい、自身には罪がない様子だったらしいから。
外で殺人、家でよき人(父あるいは母)。
どうなんざんしょ?
「分かるから」系の殺人は分かっちゃならない気もする。
たぶん、仕事だから、仕方ないから、命令だから、でサッパリ決めるんだろう。
考えること(=葛藤)にはエネルギーが要るのよね。
長く生きれば恥が多くなる、という言葉があるけど、それに近いかも分からん。
私の予想と妄想では、若い人はより内向きになっているのかもしれん。
「家族」とか身内という言葉は時に視野を狭くする。
世界を見にくくする。
他者というのが見えにくくなっているのかもわからん。
あるいは、他者は身内の延長のようなものとみているのかもわからん。
これだけSNSが流行り、結果できたのは親密圏だろう。
親密圏では人は退行し、甘え(≒友達感覚や暴力<※>)が出るという話もある。
他者へのある種の慎重さが失われている…と感じるのは私の妄想かもしれない。
<※>気軽に「バカ」とか言ったり、簡単に頭をどついたりする感覚。
大事なのは…
※メンタルについて語ります。「その方面」が嫌いなら見ないでください。
むかし「とある人」にハンディを持つ人にもイヤな人はいる、という話し合いをしたことがある。
ハンディを持つのは気の毒だ。
しかし、だからと言って虐待やハラスメントをしていい理由はない。
「とある人」は虐待やハラスメントをしたくなるのはわからなくない、というが本当だろうか?
正直、私は張り倒したくなった。
わかる、わかる(共感)でエスカレートして、刺されたり、目玉くり抜かれたりでもしたら・・・それでも許されるのか?と。
いまは、老人が多くなった。
また、ハンディを持つ人が見えにくくなった。
人には何らかの見えない弱点・・・ハンディをもつこともあろう。
ハンディをもつことと、虐待やハラスメントをするのは別だと私は思うんだけど。
わからないんだけど、世の中不思議なもので、巧妙に分からないような虐待やハラスメントは、しても良い、というのがある気がする。
形さえ変えて…分からなければ、やってもいいという、残酷なところがある。
「(見えなければ)法さえ守っていれば何をしてもいい」の変形がバージョンだ。
大人世界や政(まつりごと)はそれを、見ないようにしてきているのだけど、子供から大人になるにかけて、世の中はそんなもんだ、と受け入れていく人の方が賢く、疑問に思ったり、一々、突っかかっているヤツは生きにくいようだ。
学校から就労は一般的な流れなんたけど、そんな世の中の邪悪さを「込み」にして、やっていく方がラクらしい。
まぁ、先の人との話は部分的には間違いではないが、全肯定の面では私は賛同できかねる。
人の過去について知る由もない。
しかし、そこに何らかの挫折があったとしても・・・たぶん、それがその人の一部だとしても、付き合いにくい人というのはいる。
私みたいに(・ε・` )
手に余るけど、その人の問題か、そうさせる環境が問題なのか複雑だけど、手の出しようのないものは仕方ない。
被る火の粉は振り払わねば私がやられるから。
無知は恥ずべきだが、ひけらかしはもっと…
私とて途方もない無知だ。
これは、どうしようもない。
学生時代は寝ていたからちゅう…いや、小学のあたりもヤバいかもしれない。
というか、全ての学問などやっていたら、寿命は尽きる。
たぶん、流転したとしても、次々と新しいことが(時代時代で)わかってくるので追いつきゃしない。
K師匠などは(国語と?)歴史と体育があればよろしい、という。
それに必要なら科学や算数が付いていけばいいというのだ。
体育は健康そのものというより、自分で自分を把握するから、やった方が良いが、それが競走になるからいけない。
どの程度、自分は走れるのか?が分かればいい。
ムリはしない。
どの程度まで大丈夫で、どの程度でガタかくるのか?それさえ分かればいい。
そのあと「鍛錬したい」というのは個人の問題だ。
歴史はやっておいた方がいいかな。
どういう流れで今に至るのか?という文化がわかる。
不勉強の極みがいうのもなんだけど、戦前以前の明治なんかは、伝説みたいな感じがある。
もちろん、歴史学者や社会学者は史実だ、という確からしさを追求したんだろうけど。
点取り競争みたいに「 」を埋めなさい、みたいなことをすれば、その場限りで教養は終わりな感じがする。
これを、相手が欲することをしてあげる(答えてあげる)、という人間を次と作り出している。
まぁ、赤点まみれが口を出しちゃいけないことか。
「偉そうなことはエラくなってから言え!」
が、常識のようだからね。
知らないけど。
知識をひけらかして偉そうにするなど人間ありうる。
むかしは、ひとつのことに秀でていれば凄い!となったけど、いまは(求められる)仕事ができないとクソみそな扱いを受ける。
価値というのは時代により流行りがある。
まぁ、ようつべで喰っている人間をもいるようだからアレなんだけど、知識をどれだけ得て咀嚼して、まともなこといっているか?なんだろうけどさ。
わからん。
受け狙い動画あり、戦争容認動画もあるし、個人の理想や妥当な考えなど小石のようなものだ。
河合何某曰く、まともな人・・・常識人が居づらくなった!は言われてもう15年は経つ。
いまは、まともな人を探し出す方が大変かもしれない。