何が強い弱いを決めるのか?
住んでいるところがよくない。
こういえば身も蓋もないが、これが現実だから仕方がない。
このまえのシャンサイ騒ぎではないが、芙蓉ランドでは「家族」や「子供」などを盾に取り、大切なことを掃き捨ててしまうことがある。
とある社会研究家などは「家族の優しさ」系〇〇により、荒立てたものごとが丸く治まってしまうことがあるという。
的を得ている。
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近所でちょっとした騒ぎがあった。
なんのことはない。浮浪者が居て治安が悪いと通報した人間がいただけだ。
店主は公安が来るまでヤツに睨みを効かせて…いや、来てからもやり取りを始終観察していた。
街が綺麗になり、警備員がひっきりなしに徘徊する。
外国ではメジャーだからと学校にも警備会社が入りこむ。
全八ではないが…いや、公安が学校に入ったら終わりだと某心理学者は語っていたが、校内のイザコザは警備員が介入する。
必要なのあれば通報はやむを得ない措置なのだろう。
ものごとが分かりやすくなったともいえる。
悪いことをすれば何かが止めに入る。
「不安」があればクリアな説明がなされる。
この「不安」というのが厄介で、するかも分からない前駆体であり、それすらも無くしてしまおうという、先取り意識が働きやすい。
浮浪者が暴れるか?
それは分からない。
ただ、可能性はゼロではない。
全く暴れないとは言いきれない。
暴れるとも言っていない。
実はこの浮浪者、以前近所のSPにて「臭いからツマミ出せよ😠」とクレームがはいったヤツでもある。
一般人のデリカシーからしたら、スメハラの極みだったのだろう。
ちゃんとしてから出直せよ!というのが世の中の解法だろう。
もっと実を言うと先の亭主は良い事のつもりでやったのだろう。
もし、どこかの子供が見ていたら「変な人がいたら通報するようにね」と正しい…教育的な言葉で喋ったと思う。
家族持ちなら変な人にいて欲しくない、が常識的なのだろう。そこにはヒューマニズムよりも危険予知の方が働くのだろう。
しかし、慎ましくいうと…その変な人になる可能性が誰にも無くはない。
変な人は通報されるとか他所にやられる、というのは健全だろうか?
更に実を言うと、数年前にむかしの同級生が浮浪者になっていた。
…いや、私ではない。
私も危ういが。
サッカーが得意で運動神経がバツグンだったヤツだが、報われなかったのだろう。
デカい荷物を担いで、地元SP(※)の試食コーナーを何往復もして、ブツブツ一人言を始終言っていた。
ダメになったヤツは静かに葬り去られる(≒社会的死)。
「気の毒」と言う言葉が死語になった。
※スーパーマーケット