先行世代は…
若い子がとんでもないことをするという。
だけど、考えてみればそれが許されるからだ。
許される下地があるのであって、それが次世代の常識なりルール(民間的な)になり、仲間内のモラルになったりする。
就職氷河期などは、ある種の先行世代であり次世代への下敷きにもなっている。
要は前例だ。
前例…短期的な歴史であり、近い過去である。
より、遠くの古い過去はイメージするしかないが、近しい過去未来に対しては何らかの価値判断をしやすくなる。
就職試験など、何やっていたんだ?アイツら?なんてのはいくらでも言える。当時の有利な条件をいくつかヒョイヒョイと用意すれば、当然何だアイツら?になる。
たぶん、いや…ホントに自殺したとしても、弱いヤツだったんだ、で落ち着くだろう。
粗雑な例えを使ったが、ひとつの悪例(?)はある意味実験的でもある。
血も涙もない上級管理職みたいな存在でさえ、そこからより有利な条件を次に試していくだろう。
しかし、当然ながらフツーというか、一般的にも過去の事例は「そういうこともあったんだよ」として、微かに記憶されていくだろう。
まぁ、野暮ったい話、昔の常識やモラルなんかは使えなくなって当然ともいえよう。
なんせ、ソッチ方面の学者らはヌポンを「次々と変わりゆく勢い」として、文化には変化の激しい性質があるとして見ている。
河合某は根幹の部分は変わらんと言った。
しかし、先に医療心理師を国家資格でとられた。
根幹は変わらないが事柄をチョイスする部分では、その変化は激しく、流行りのようなものだ。
なるほど、心理学でさえ流行りとして消費される。
早いはなし、消費というか流行に左右されてしまうのだ。
仕事だってそうだ。
いまはYouTuberですら飽和(バブル)状態で、新しいメディアに期待がかかっている。
子供の夢の上位が一時期YouTuberだといい、医者では無いという話が出た。
華やかだからな。目立てるし。
このさき、どうなるかはわからない。