コミニケーションについて(なぜ必要か?)
顰蹙を買ったLINEについて書いた。
要は、返す暇もないくらいのやり取りは(私の)脳を疲弊させる。
(´・ω・`)「LINE疲れるのよ」
新興企業では朝、スマイル顔認証が出席になるという。
大暴れ('ω')三( ε:)三(('ω')三(ヾ(⌒(ノシ >ω<)ノシ大暴れ
私が若くして入ったら一日で辞めると思う。
嫌なことでもスマイルで・・・なんて新宗教や自己啓発みたいで、鳥肌が立つ。
さきのS氏のいうところ…
なぜ、組織はコミニケーションを取り入れたがるのか?
コミニケーションが出来ていないからだ、という。
要はコミニケーションもできないヤツらが集まってきたということらしい。
コミニケーションを相手の話に合わせると考えているのが多い。
いや、もっと雑にいえば(特に)上役の話を聞ける人間が好まれるのかもしれない。
卑近なはなし、仕事なんかしていれば対話(※)などまずない。
喋りの強い人間が主導権を握りやすく、同世代同士でもコミニケーションなどは、同じことを話すこと・・・話に共感、同調するのを意味している。
(※)対話こそコミニケーションではなかろうか?
人の話を聞けない大人、というか…そういうのは、相手が理解してくれて当たり前という前提がある。
また「話しても理解しない相手の頭を疑う」ではなくて、話し手の話し方が問題があることもある。
状況にとしては、相手が分かって当たり前、という関係にどーしてもなりやすい。
「自分と相手ありき」なら良いが、「自分しかいない」では話が通じるはずがない。
どこかに甘えがある。
よく、キャッチボールで受れない球を投げるのがいるが、まさにアレである。
英語を話せるようにするという。
しかし、その前に母国語であろう。
会話・対話が成立していなければ、英語を話せても話者が一方通行をやっていてはどうしようもない。