戦国をたとえるなら
いま三国志ものを読んでいる。
経営者なら諸葛亮や劉備、張飛など誰が好みかで人柄が分かるのかもしれない。
大抵、無難に孔明あたりにしておくとか。
国とりを商戦にたとえるのは昔からある。
どの商社がやり手だとか、あの会社なら間違いなくやってくるだろうとか。
いまは不景気というか、後退戦な感じだが方針は変わらないのかもしれない。
序列が不透明な分、競争や仲間意識は強いだろう。
いや、となりの人さえ明日はわからん。
さきほど、今どきの入社式のドキュメントを観た。
新入社員など戦士のようだった。
トップから下に行くほど、数が多くなり・・・大将、中将、平、歩兵…戦争のイメージしかわかない。
いや、世の中こをなもんだ、と感じた。
(才能があれば)昇進などで地位が上がるのだろうが、結局は経営である。
上昇気流に乗るかのようにしてやっていかないと惰性ではダメなのだ。
売上とはそんなもんだ。
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しかし、考えようによっては家事も経営である。
センスが問われるのかもしれないが、日々のメンテナンスは会社と比較すれば同じ様なものだ。
何を買い、何を揃え、何を掃除し、何を手続きするか?などの雑務はなくてはならない。
家事(≒仕事)を小馬鹿にしていけない理由がここにある。
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私などは前世が欧州かどこかの浮浪者(こじき)だった可能性が濃厚である。
ヌポンに馴染めず、ウェットになれず、妙なところで疑い深く、厭世的で陰キャだから。
某心理学者などは時代が変われば・・・たとえば乱世なら、活躍できたであろう今の浮浪者などというが、私はそうは思わない。
IQや運動神経、適応力が遺伝するように、その手の能力や器用さは時代に左右されない気がする。
孔明ですら、田舎で世捨て人をしていたというが学問に通じ、頭のキレは東大並と言われるのだから、能力は必要なのだ。
まぁ、能力が仇となり最後はやられてしまうんだけど。
あと一言いうと、ネット・・・得にSNS界は偽陰キャの集まりで、その正体は陽キャの溜まり場である。
情報を使いこなし、現世を器用に生きていける。
情報ですら生き物だというのだから、彼らの使うのは「今」である。
私の使う情報は化石か?