無題(元旦2日目に向けて)
(´・ω・`)「明後日、仕事だよ」
もう一度、年末になってくれないかしら?
あと、1週間くらいはサボりたい。
というか、骨休め。
いや、療養休暇。
Dr.養老などは「30日も休めば勤め人ならば席が無くなっているだろう」という。
いや、1週間だって危ないから。
どうやって口減らししようか躍起だ。
ゆえに、雰囲気が緊迫しギスギスしてくる。
しかし、まぁ書店に行けば、まず啓発本が並ぶけど「弱さ」をそのまま出せばヤバいの分かっているから、まだイける系の本や更に上へ!な本が蔓延るのだろう。
弱さを素で出せないって怖いね。
「このせか」のドキュメントを見た。
作家の戦時下の人が弱かったわけねーだろ、という発言が印象的だった。
この考え方に私は反論はない。
むしろ、有りだと思う。
ただ、政治や庶民の時代背景・・・政(まつりごと)と庶民が遠いという…戦争は何か自然現象みたいな、別のどこか遠い星で起きている感じがやはりした。
その中でしっかりやっていく…多少の、というか影響受けてるんだけど、知恵や工夫を凝らし逞しく生きる庶民の姿がトピックされていた。
結局は政というのは庶民からは遠い存在なのかしら?
政治やと世間が関係しているからこそ、素直に作品や逞しく生きる庶民の姿に疑問を持ってしまう私。
たぶん、政治など全く無ければ素直に(作品も)観れたのだろう。
難しい。
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会社員というのは贅沢という意見を聞いた。
たぶん、流れとしてしわ寄せが下に下に向かったのだろう。
この疫病下で非正規は守られず、まず(統率力や管理する)上の人間が守られるという、自体があるようだ。
よく、海外では非正規関係なしに給料は働いた分ね、という。
しかし、ヌポンでは給料や(吸い上げ)の仕組みがどうも硬直しているらしい。
このシステムを今から弄るというのは、かなり大変そうだ。
この仕組みを死守する為に、他が(遠因的にも)犠牲になるなら、柔らかい部分からダメになるのは、考えてみれば必然的(というか、ほぼ自動的にそうなる)だと思われる。
戦略的に見ても、自分とこにも他所にも「緩み」を見られないのは当たり前で、前例を作るのはおろか、露見すれば「そういうことをするところなんだ」と、利害関係で計られるだろう、今後。
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森さんの「FAKE」を読んだ。
相変わらずの批評精神は私の不健全さが恥ずかしくなる。
仕事やってれば、折れるに折れるなんて当たり前だ。
「それはまずいんじゃない?」なんてのは、業務命令の壁に塞がれヒューマニズムや倫理もヘチマもない。
「折れる」というのは、飼い慣らされるみたいで、若い自分だったら、許せないことだったろう。
売れるから記事出す、商品やサービスを提供するというのは需要やニーズがパッケージ化されており、それこそ硬直して広がりがない。
これが、インフラなら仕方がない。
今日の水道水は臭いでは話にならない。
ガスが弱くて火力が出ないでは、停電国と似ている。
なぜ、商品を出すのか?
流通システムができあがっており、それに沿ったことをしないとカネにならない。
この繰り返しだ、日常は。
FAKEを読んで硬直したシステムを連想した。
集団化しやすいヌポンというのは、システムから外れる事を恐れるという・・・私なんかはパッケージ(≒日常)をこなさないと叱責されたり、クビにされたりすると困るから仕方ない感じなんだけど。