年末マツ・・・マツマツ
リア充とはネット込みで現実を巧みに生きる人だ。
ネットは最初ヲタクのものとして、使われていたようだが、使い勝手が良いのが分かって人口に膾炙した(と思う)。
真性の非リアはネットを現実に活かせるのか?疑問がある。
強烈な陰キャの私などは現界からリア充成分が流入し華やかになり、かえって過ぎてついていけない。
(´・_・`)「・・・」
ヲタというが、必ずしも陰キャというわけではなく、アニメをやりながら人生を満喫している若い子も出現している模様。
「次々と変わる勢い」は近世の誰か(忘れた)が言った。
文化の表層の変化の素早さは仕方がない。
しかし、取り入れ取り替えの変化スピードの速さはヌポン独特ではあるまいか?
ひと昔前のこと言ったら…
(-∀-)「この、老人!」
などと、言われたことがある。
今流行りのハラスメントもいいところである。
(´・ω・`)「もう、田舎引っ込むしかねぇな?」
都落ちではなく、街落ちである。
変化の遅いところに住まわねば。
なんせ、流行りというのも体力が要る、あとセンスも。
これだと思ってしがみつけば、すぐ老人と小馬鹿にされるんだから、邦人の個性の無さというか、新しもの好きというか。
まぁ、メディアはともかく、商売でネットなんかやっていたら、どうしても真新しい広告出さなきゃあならない。
新しいもの持っていることで、カネがあるとある意味見られるよなぁ…小金持ち。
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ツ〇ッタで生保や障年で楽しそうに出すのがいる。
果たして海外でもそれがフツーなのかどうか分からない。
慎め!は我が国の悪習だとして、叩かれるだろう。
楽しんで何が悪い?と。
基本、私は楽しんで悪かないと思う。
閉じこもりの達人に拠れば、生保、障年は自然の恵みという(生きにくくさせてるのが悪いという理屈か?)。
ただし、生来のボンビー癖のため目の前に万券現れたら、拝むとか言ってるけど。
まぁ、(税の)吸い上げ喰らってるのが苦しんで生活ジリ貧なのいれば、彼氏と遊んだ!とか、都内の美味い店行ってきた!は躊躇うかも・・・と私は思う。
でも、働くのがバカらしくなるのは当たり前だ。
なかには嘘こいて、福祉貰ってるのもいるだろう。
狡猾さは妲己の如く。
カネって、なんだろうと思う。
こう…要領よく振る舞わないと(あるいは見せないと)、「馬鹿」みたいな雰囲気は上から下まであるよなぁ。
まるで自然界みたいで、野生的だ。