情報の取捨選択(あるいは確からしい物事について)

いまは情報の真偽が難しい。

大体の情報のでさえ、時間をかけないと分からないものだが、これが「正解です」と言ってしまうのがいるからいけない。

いや、尾ひれをつけたような…あたかも見る者を誘導するような表現方法というか。

 

物事は変容しやすいのも事実。

しかし、天気予報なんかは民間が参入して以来、何だかズレが目立つ気がしないでもない。

某予報なんぞは、あとで取ってつけたように、予報を書き直して発表するんだから・・・それで、商売になるんだぜ?

 

フェイクニュースなんかを含めれば人間、腰が重い方がよろしい。

すぐに反応せず余裕を持って眺めていた方が、利益も無いかもしれないが損害も出ないかも分からん。

「何もしない医者は中くらいの医者だ」と中国の古典名言にあるではないか🇨🇳

そう考えれば、人間はじっとしていられないんだろうな。

私なんかは陰キャでいつも、めんどくさいって唸っているけどさ。

(´・_・`)「・・・」

 

学生時代から教科書から目を背けてる来た人間が、こういうこと言っちゃマズイけど、学問する人は教科書からスタートだろうな。

付け焼刃的なようつべの学習動画などは、分かりやすいんだろうけど「次の儲け見つけたからやってる」みたいな感じがあり、なんか臭い。

ラフな格好してお笑いしてたのが、次の瞬間には背広着て講師してるんだぜ?

 

それはともかく、もの(情報)は選ばないといけないのは本当らしい。

たとえば、書物なんかはその通りで最近の本屋に行けば、新書なんかは臭いものが目立つ。

 

作家なんかは「虚」を作るのが仕事だった。

あたかもホントらしいことをいうのは有り得なかった。

売るために編集者も大変そうだが、内容も隣百姓みたいに誰が書いてもフォーマットが決まっているんなら、売るための本になる。

芸術作品だろうか?

 

あとは、作家が無意識の先導により作品を生み出した、というのがあるけど、やはりベースは生活環だろう。

どういう生活をしていたかで脳も影響を受ける。

右より左よりとか、写実的とか、神秘的(幻想的)とかいうが、そこら辺は注意しないと読む方も飲まれることがある。

飲まれて、自分を失ってしまえば最悪である。

 

ただ、自分の変容はいい。

考えに幅が出るとかはまだいい。

洗脳されたり、常識や道理・倫理の閾値を超えてしまうのは・・・要は戻って来られなくなるのは良くない。