ヲクル言葉
何も全八みたいに立派な事を言いたいわけじゃない。
「人という字はお互い支えあって云々…」
と、見事な事すら思いつきそうにない。
U師匠などは若い子に生きる術・・・もう、サバイバルみたいな技術が必要だと、半強引にいっている。
私も間違いないと思う。
むかし、築地で女性上司が男性社員の腹を蹴って殺った事件があった。
たぶん、フェミ系からはセクハラがどうこういうかもわからん。
真実は死人しか知らん。
だけど、私は殺人に至るまえの些末な虐待が日常あった気がしてならない。
・・・などというと、女性蔑視だとか、男なのに情けないなど言われるだろうが、あえていえば、この手の負の連鎖は老若男女関係ないと思う。
要はやる奴はやるのだ。
見回り先生の言葉を借りれば、弱い(弱そうな)やつに向かい暴力は向かっていくのだ。
組織は組織(業績)をキープするため悪いことは無いものとする。
女性に手を出そうが、麻薬が使われていようが、事故(事件)で1人いなくなりようが、組織というのはそういうものだ。
村上春樹のイスラエルスピーチを出すまでもないが、どうやら繰り返し(時々)この種の暴力性はアナウンスしないといけないらしい。
血の通った目の前の1人は、システム(集団あるいはファッショ)に取り入れられると、部品になる。
部品はちゃんとそこで動くことが求められる。
そうでなければ放り出される。
なんと、残酷なことだろう。
また、某医師は「いまはマスクをしており匿名性が出るから、より乱暴になる」というが、私はそうは思わない。
虐待事例があるように人はエスカレートするのだ。
売れっ子脳科学者は怒り(≒正論)を出し続ける人は、それ自体が中毒なのだという。
間違いではないだろうけど、歯止めが効かなくなるなんてのはありうることだ。
それを「関係性の病い」と誰かがいっていたが、その中での骨子は「正すのは良い」とされることだ。
なかなか、良い点に目がいかなくなる。
看守と囚人…あるいは、聖職者と霊媒師など、正す側と正される側が娑婆でさえ、刑務所のような状況が作られてしまうのだ。
しかも、密室や親しい関係が虐待の原因というが、習慣という慣れも…外に出しても客観視が出来なくなるような状況では、なにも外で虐待や暴力が行われてもおかしくはない。
また人間、絶対完璧な正論があれば、容易に粗暴になれるのだ。
いい例が戦争だろう。
外にて平気で銃剣を使い相手の腹を抉った。
やらなければ、やられるまでにヒートアップした事態だ。