付き合いきれるか?(器)

もし死刑囚が生前、付き合いきれない人物だったら、私も考えが変わらなくないかもしれない。

早い話、付き合ってらんないヤツと言うのはいる。

だからと言って、そんな奴いなくなればいい、みたいなのとは違うんだけど。

相性だろうな。

ご縁が無かった、ということで表面の社交上の付き合いになるだう。

 

某心理学者はイヤなヤツというのを自分のシャドーという。

自分のなかにある見たくない部分、正反対の性質など、それを押しとどめて生活しているもんだから、たまにそういうヤツが外にいれば、イライラするのだ。

 

もうひとつの考え方としては、過去にあったイヤな思い出やパターンが・・・そいつを絡めて付き合うと深井になる、というものだ。

対人関係で失敗したした過去を繰り返しているようなものだけど。

 

あとは、純粋にコッチが嫌いなら、アッチも嫌いというパターンだろう。理由は多彩だ。

いずれの場合も緊急性の高いとき・・・見てるだけで殴りたくなる、殺りたくなるなどは、いい事ないから場を去るのが懸命だ。

心理学の解説を長々としてリスクを温存させるよりましだ。

 

ときに吹っかけられることもあるけど、そんな時も乗らないことだ。

理由は分からない。

相手にモラルハザードがあったり、突発的な攻撃性の発作があったりする。

イライラしていたのかもしれないし、コチラに落ち度があったかもしれない。

昨今の流行りで新自由主義・・・好きにして何が悪い?みたいなものの延長かも分からんが。

 

今の御時世・・・というか、前からかもしれないが、攻撃したくなるヤツというのはいるもので(やっちゃならないが)、それが抑えられない、ある種の病(やまい)を持つ人がいる。

まぁ、そんなこと言ったら刑務所に行った方がいいヤツなんて掃いて捨てるほどいるんだけど。

 

ひとつ言えるのは(良い悪い含め)ノリが悪いと、釣れないやつとされるのがある。

そこで重要なのはノルことであり、ノルことのできないKYみたいなのも、野暮=草とされる。

 

病いは本人が気づかない限りどうしようもないのだろう。

克服する課題のようなものであるけど(歴史あって形成されてきたものは)外から見ても見苦しいことがなくない。

いつまでもそれをし続ける人間というのも、何だか救いようが無いような気もする。

 

中華屋を拒否された某イキリロケットも良い例だ。

万能感を温存し、自分を中心に世界を回すような仕草はいい歳をして落ち着きがない。

貫禄はあったとしとも、物事がままならないとヒステリーを起こす様は見ていて見苦しい。

 

疫病についてはまだ分からないことがある。体力のない者は警戒するだろうけど。

とりあえずマスクと衛生管理をしてしのごうというやり方なのだ。

マスクが微力でも体力のない人への振る舞いだとしたら、あのような粗暴な振る舞いはしないはずで。

 

若い頃は許されたが、経験からしてやらん方がいいぞ、というのを学ばないのは果たして大人といえるだろうか?

物事には、やらない方がいいこともあり、やることで自他ともにイヤな思いをしたりさせたりするのがいつまでも刺激的なら、まだまだ若さの証拠になるのかもしれない。

むしろ、歳を追うことで余裕も無くなってくるし、それも個人差があろう。

あとは想像力の問題だ。

どのくらい、相手を観察できるか?だろうな。

 

まぁ、ロクでもない私がエラソーなこと言えないんだけどさ。